越後編(61):旅の終わりに(13.3)

 というわけで、越後編一巻の終わりです。新潟県には他にも訪れたいところが多々あったのですが、時間の関係で断念しました。たとえば松之山温泉の大棟山美術博物館(冬季休館中)、安吾の部屋、凌雲閣松之山ホテル本館、そして付近にある狐塚の棚田・星峠の棚田・儀明の棚田・蒲生の棚田・湯山の棚田。六日町駅から徒歩五分、「恋人の聖地」に認定された愛の大橋。塩沢の鈴木牧之記念館。越後湯沢にある、「恋人の聖地」に認定された湯沢高原アルプの里。高田にある高田事件記念碑とレルヒ少佐銅像。親不知・子不知。新潟県田上町の旧田上小学校にあるという奉安殿。後日の再訪を期したいと思います。
 また今回の旅では、いつもにもまして心に残る魅力的な人物にたくさん出会えました。宮本常一、北一輝、坂口安吾、石川雲蝶、堀口大學、河井継之助、木喰、そして良寛。共通する点は…何でしょう。強いていえば、金儲けや功名には目もくれず、己の信じる研究、思想、芸術、生き方をとことん追い求めたということでしょうか。これからも折にふれ後塵を拝したい方々です。
 もう一つ、長岡藩の運命、柏崎刈羽原子力発電所、湯沢の朽ち果てつつあるリゾートマンションにふれて、地方の自立・自律はどうすれば実現できるのかという問題にも突き当りました。たまたま帰郷後に読んだ『現代資本主義分析4 現代資本主義と国家』(岩波書店)の中で、著者の宮本憲一はこう述べられています。
 国庫支出金は基本的にみれば高度成長をすすめる経済的刺激策として使用されたが、それだけではない。二つの重要な機能を果している。ひとつは、地方の道路、農林漁業施設や商工施設の建設にみるように、細かいひもをつけて、保守党の政治基盤である農漁民や商工業者の利益を擁護することである。このような農業、商工業関係の何千におよぶ零細補助金は、一見すると農林漁業や中小商工業者の生計を助成するようにみえて、実は、これらの小生産者の自立的内発的な発展をくいとめているのである。近年の調査では、過疎から脱却して「むらの再生」をし、あるいは下町の再生に成功している小生産者の運動は、政府の補助金に依存せず、自らの知恵と汗によってつくりだされたものである。他方、補助金という政治的な票田の中にどっぷりとつかった小生産者は目先の利益に走り、中央依存で自立を失っているといってよい。現実には長岡市一市の国・地方の公共事業費が山形県一県のそれにあたるといわれたり、赤字線の只見線は敷設されても、県民の足となるべき沖縄縦貫鉄道は建設されない。このような補助金を中心にした財政の政治をみると、補助金の非効率性や反公共性がいかに分析されても、補助金に寄生する草の根保守主義がなくならぬかぎり、根本的整理はむつかしいであろう。この補助金政治のために、真の過疎からの脱却はおこなえず、かつ反面、着実に大都市圏の自治体の財政はピンチにおちいっていくのである。(p.233~4)
 "自立的内発的な発展"、"自らの知恵と汗によってつくりだす"、"目先の利益に走らない"ということが鍵になるのかと愚考します。NHK的な物言いで汗顔の至りですが、この問題はこれからもじっくりと考え続けていきたいと思います。

 とりとめも脈絡もない駄文、ご清読ありがとうございました。次回はオーストリア編の予定です。
by sabasaba13 | 2014-08-27 06:42 | 中部 | Comments(0)
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