ヴァロットン展

 今年の夏は、二週間ほどスイス旅行をしました。はじめにチューリヒに二泊、中日にヴィンタートゥールという町へ行き、印象派の逸品が所蔵されているレーマーホルツ美術館を見学。そしてオスカー・ラインハルト美術館とヴィンタートゥール美術館も訪れたのですが、後者ではホドラーやクレーの作品に心を惹かれながらも、ある画家の絵が気になりました。足が棒のようになり疲れていたせいかどんな絵だったかは失念したのですが、静謐な画面がかもしだす不気味さと不安さだけが記憶に残ります。後日に調べてみようと、"Vallotton"という画家の名前をカメラにおさめておきました。
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 帰国後はすっかり忘れてしまい、多忙な日々を送っていたのですが、9月6日放送の『美の巨人たち』で、フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)の「ボール」という不思議で怪しい作品を紹介していたのを見ていて、はたと気づきました。ヴァロットン、ヴィンタートゥール美術館で気になったあの画家だ! おまけに三菱一号館美術館で、現在彼の展覧会が開かれているとのこと。これは行かねば、山ノ神を誘って「冷たい炎の画家 ヴァロットン展」を見てきました。
三菱一号館美術館は初めて訪れたのですが、丸の内で最初のオフィスビルである三菱一号館(設計はジョサイア・コンドル)を忠実に復元した建物だそうです。内部は、あまり広くはない展示室が迷路のようにつながっており、関係者以外立入禁止のビルに忍びこんで企業秘密を盗撮しているような不思議な気持ちでした。親密な室内の情景を好んで描いたアンティミスト(親密派)たる彼の作品を展示するには、恰好の雰囲気。
 最初の展示室に入って、まず後頭部をバールのような物で殴られたような衝撃を感じたのが「休息」という作品。下半身をシーツでくるんだ横たわる裸婦、その美貌と均整のとれた肉体、しかし生気のない瞳、人形のような表情、蝋細工のような肌… そのアンバランスには慄然とします。まるで、女性への嘆美とともに恐怖と憎悪が渦巻いているような悪夢。まるで静物画のように、女性の肉体の一部を描いた「4つのトルソ」や「臀部の習作」にも、画家のただならぬ女性観がにじみでているようです。
 そして問題の「ボール」という作品。歪んだような不安定な構図、日なたには小さな赤いボール、日陰には大きな赤いボールがころがっています。帽子をかぶった少女は日なたのボールに向かって駆けていますが、が彼女に襲いかかるように後ろから迫る不気味な木々の影。その彼方には、母親なのでしょうか、少女の存在を無視するかのようにもう一人の女性と佇んでいます。
 「夕食、ランプの光」も、背筋が凍るような絵ですね。夕食のテーブルを囲む四人の家族。少女と青年と女性は仮面のような表情で、その視線は微妙にすれ違っています。もう一人は漆黒に塗り潰された後姿のシルエットで、表情はもちろん服装すらわかりません。森田芳光監督の『家族ゲーム』では横一列に並んで食事をする場面で、崩壊する家族を暗示していましたが、こちらの家族には禍々しさすら感じます。いや、そもそもこれは家族なのでしょうか。大きく描かれたナイフとフォーク、女性の前に置かれた不気味な植物(?)が、見る者の不安をさらに高めます。
 ヴァロットンは1899年、パリの大画商の娘で三人の子がいる未亡人と結婚し、貧乏な画家生活から抜け出したとのことです。しかしその裕福な暮らしは、彼を幸せにしたのか。日陰にある大きな赤いボール(裕福だが息苦しい生活)よりも日なたにある小さな赤いボール(貧しいが自由な生活)を追う少女、そして黒いシルエットの人物が、彼の苦悩と疎外感を雄弁に物語っているような気がします。
 他にも、黒と白の対比を効果的に使った木版画、冷徹なタッチで描いた肖像画も印象的でした。中でも、第一次世界大戦を描いた木版画の連作「これが戦争だ!」が心に残ります。有刺鉄線にからまった兵士の死体、炸裂する砲弾、兵士たちの乱痴気騒ぎ、暗闇に光る銃剣、そして悲嘆にくれる民衆。黒白二色と描線だけで、戦争の禍々しさを見事に表現したその力量と志には頭を垂れましょう。これはゴヤの「戦争の惨禍」にも匹敵する傑作だと思います。
 熱情を抱きつつも冷徹に対象に迫ったフェリックス・ヴァロットン、まるでクリス・エバートのテニス(古いなあ)を彷彿とさせる魅力的な画家でした。これからも彼の作品を追いかけていきたいと思います。

 さすがは山ノ神、入場券を提示するとさまざまなサービスがあるという企画をめざとく見つけました。それでは目の前のビル地下にあるイタリア料理店でパスタをいただき、おまけの珈琲を飲みましょうか。櫛比するお洒落なお店、小奇麗な服装で行き交い食事をとる幸せそうなカップルや家族連れ。まれで、いまだ収束の目途がたたない福島第一原発事故も、普天間基地の辺野古移転問題も、福島や沖縄の人びとを見殺しにしながら軍事力による"安全保障"に固執し暴走する安倍伍長政権も、まるで存在しないかのような平和な光景です。もしヴァロットンが生きていてこの光景を見たら、彼ら/彼女らを、そして私たち夫婦をどんな絵に描くのでしょうか。肌に粟が生じます。
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by sabasaba13 | 2014-09-30 06:37 | 美術 | Comments(0)
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