真鶴半島編(2):(05.7)

真鶴半島編(2):(05.7)_c0051620_10271383.jpg ここから美術館までは、半島の中央を走る車道を歩いていきました。車はほとんど通らず、両側に海を眺められるなかなか快適な道でした。一時間ほどで到着。まずは無料で公開されている復元された中川一政のアトリエを拝見しました。中川一政(1893~1991)、洋画家。戦後ここ真鶴半島にアトリエをかまえ、日本画、書、篆刻、陶芸、装丁、随筆など自由奔放な創作活動を行いました。人の仕事場や本棚を見るのは好きですね。人となりがよくわかります。低い椅子と、適度に雑然とした雰囲気、自然体で仕事をしていた様子がうかがわれます。
 そして森に囲まれた美術館へ。細長い展示室が、プロムナードのようにならび、散歩をするような気分で快適に絵を見ることができます。窓からは木々の緑が見える、素敵な美術館です。難を言えば、展示室にはすべて椅子を置いて欲しい。彼が真鶴町に寄贈した作品が展示されていますが、彼の絵はいいですね。色と色とがぶつかり溶け合い、生きている塊のように迫ってきます。彼の含蓄ある味わい深い言葉を紹介します。
 人というものは其人の心の深さだけしか見る事が出来ません。深い心の作品を見るにも自分の程度だけしかわかりません。いつ迄見ていてもよい絵というのは、自分の心が成長して行ってもまだ奥底のわからぬ絵のことです。自分にとけぬ謎のある絵です。自分のわかる程度で素直に見てゆく事です。理屈ぜめにして見てゆかぬ事です。自分が成長すればわかるだろうと思う事です。そして成長する事を考えた方が近道なのです。

 みな画を芸術と思っている。画は芸術ではない。画の中に呼吸し、うごめいているものが芸術なのだ。美術だもの美しくなければいけないといわれた。画はきたなくてもよいのだ。それよりも生きているか死んでいるかが問題だ。そう思ってきた。
 いい言葉だなあ。絵の見方が変わりそうです。書もいいですね、うねうねもりもりと生きています。相田みつをや片岡鶴太郎の書画は彼の影響を受けているのかもしれませんが、生気の差は歴然。ぜひ下記の美術館ホームページでご覧ください。うかつだったのは、藤森照信氏の「特選美術館三昧」(TOTO出版)でこの美術館が紹介されていたのを忘れたこと。今読み返して、設計者柳澤孝彦氏の独特のコンクリート表現を知りました。気づかなかった… まあいいや、また行く口実ができたというもの。今度は山ノ神同伴にしましょう。
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●中川一政美術館 http://www.town-manazuru.jp/museum/
by sabasaba13 | 2005-07-14 06:15 | 関東 | Comments(0)
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