美術館前にある片山哲の漢詩の碑を見て、気持ちよい遊歩道を歩いて森の中を抜けます。この森林は「御林」または「魚付き林」と呼ばれているそうです。江戸時代、萱原だったこの場所に、小田原藩が3年かけて15万本の松を植林しました。明治維新後、皇室御料林となり、戦後真鶴町に払い下げられます。この森林から海に流れ出る豊かな栄養分が、魚たちをはぐくんでいるので「魚付き林」なのですね。江戸時代については毀誉褒貶がありますが、自然に対する洞察と畏敬の念に関しては頭が下がります。数十年、数百年というスパンで開発を考えていたと思いますね。途中で出会った大きな洞(うろ)をもつ巨木には圧倒されました。「地球にやさしく」などという人間の増上慢をあざ笑うかのごとく、とてつもない存在感で周囲を睥睨しています。
そして町営保養施設「ケープ真鶴」に到着。昼飯にしましょう。アジのたたきとフライがついたお得な定食にしました。サバも好きですが、アジも好物。舌鼓を打ちながら、あっという間にたいらげ、ふと気づきました。私は、フライのつけ合わせのキャベツは残さないが、刺身のツマは残してしまう。みなさんはいかがですか。後で山ノ神のご託宣をうかがったら、魚の生臭さがうつっているからではないかという意見でした。なるほど。これからは残さないようにしようと誓うとともに、ツマは別の皿に盛りつけてほしいと料理人の方々に要望します。与謝野晶子の歌碑、台場跡を見て、真鶴岬先端にある三ツ石へ。
そしてここからバスに乗って、真鶴港へ移動します。「魚市場」で降りて、鵐窟(しとどのいわや)を見物。石橋山の戦いに敗れた源頼朝が隠れ潜んだ洞窟ですね。暗くて中の様子はわかりません。デジタル・カメラで撮影してみると、頼朝らしき小さな石像がぽつねんと佇んでいました。寂しそう。残りの六人もつくってあげればいいのに。すぐそばに「品川台場礎石の碑」がありました。そういえば、真鶴半島は小松石という名石の産地で、鎌倉時代から石材業がさかんだったそうです。ここからはふたたび道祖神めぐりです。
本日の一枚は、真鶴半島の巨木です。