オーストリア編(65):ケールシュタインハウス(13.8)

 閑話休題。以下はウィキペディアによりますが、1945年4月下旬、英国空軍の空襲を受けてベルクホーフは大破損傷。5月上旬には、撤退するSS軍に火を放たれ炎上。さらにここに到着した連合軍によって略奪が行われたあとは長らく廃墟となっていました。その後、ネオナチの聖地化することを恐れたバイエルン州政府により1952年4月30日(ヒトラー自決の日)に爆破解体されました。現在、跡地のほとんどには木が生い茂っており、残るベルクホーフの痕跡はわずかな石組みなどの瓦礫のみだそうです。
 事前に知っていれば、せめてその縁にでも触れることが出来たかもしれません。残念無念。専用バスに乗り換えて急峻な羊腸の山道をのぼっていくと、徐々に眺めも良くなってきます。そして1940年にマルティン・ボルマンがヒトラー50歳の誕生日(1939.4.20)のプレゼントとして海抜1881m のケールシュタイン山頂近くに建てさせたティー・ハウス、ケールシュタインハウス(Kehlsteinhaus)への入口に到着です。なお「鷲の巣(Eagle's Nest)」という別名もありますが、占領したアメリカ軍がつけたという説、フランスの外交官がつけたという説があるそうです。バスから降り、アントニオさんに随ってまずは128mのトンネルを歩いていきます。かなり広いのですが、これは自動車が通行できるように配慮されたそうです。
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 そして内装が黄金に輝くエレベーターに乗ると、一気に山頂部までの124mを上昇していきました。何でも発電機にはUボート用のものが使われたとか。
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 エレベーターから降りると、そこはもうケールシュタインハウス。しかしヒトラー自身がここを訪れたのはわずか13回だとか。これも呼吸疾患をわずらっていたので山は苦手だったとか、高所恐怖症だったとか、山荘内部の装飾が気に入らなかったとか、諸説あるようです。広々とした大ホールにある暖炉は、ベニト・ムッソリーニから贈られたもの。よく見ると落書きが刻まれていますが、これは連合軍兵士によるものだそうです。ここケールシュタインハウスは、目標としては余りに小さかったためイギリス空軍は爆撃を断念。1945年5月にアメリカ軍第101空挺師団によって占領され、その後、1960年まで連合軍の施設として使用されたそうです。その時の落書きなのですね。なお昭和天皇から贈呈された絨毯もあるそうですが、展示はされていませんでした(たぶん)。
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 愛人エヴァ・ブラウンの部屋からの雄大な眺めを楽しみ、工事現場や当時の写真を拝見し、外へと出ました。
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 すこしのぼった所にある十字架が山頂で、ここからの眺望が絶景。広大無辺なアルプスの山々を背景に、ケールシュタインハウスを眺めることができました。心配していた天気も、いつの間にか雲も消え、爽やかな青空が広がっています。
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 山荘へと戻り、テラス席でビールを飲みながら一服。
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 トイレの男女表示を撮影してエレベーターに乗り、トンネルを抜けて集合場所のバス停留所へと戻りました。アントニオさんによる人数確認の後、専用バスに乗ってヒンターエックへ、そしてツァーのバスに乗り換えてザルツブルクへと戻りました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2014-12-11 06:31 | 海外 | Comments(0)
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