川越編(4):吉見百穴(05.7)

c0051620_18551272.jpg 今日も曇天にして猛暑。朝六時に目が覚め、ホテルのレストランでモーニング・サービスを食し戦略を練ります。午前8時には出発できそうなので、博物館は後回しにして、おそらく自由に見学できる吉見百穴へ最初に行きましょう。ホテルを出ると眼前にかくの如き看板。腰が引けているなと微笑みながら近づくと、嗚呼、片脚は折られボコボコに凹み、にもかかわらず針金で自らを電柱にしばりつけ不退転の決意で屹立しているではありませんか。その勇気をしかと受け止めました。今日はいい事がありそう。さて東武東上線に乗って東松山で下車。バスに乗ること約十分、さらにバス停から歩くこと約十分、8時45分ごろ吉見百穴に到着です。すると柵で囲ってあり、入場料が必要。幸い開場は午前8時30分だったので、時間のロスは防げました。初めて訪れたのですが、一見の価値がありますね。丘陵の斜面に穿たれた蜂の巣のような無数の横穴… こりゃ奇観です。1887(明治20)年、人類学者の坪井正五郎が発掘して土蜘蛛人(コロボックル)の住居であったと発表しましたが、研究の進展により古墳時代後期の墓穴であることが判明しました。坪井正五郎? そういえば最近読んだ本で、二回彼の名と出会いました。以前に紹介した「アースダイバー」には、増上寺の寺域に点在する小山の群れが古墳群であることを発見したのが坪井であるという記述があります。英国で考古学を学んだ帰路、子供時代によく遊び場にしていた増上寺の裏手の森のことを思い出したそうです。「単一民族神話の起源」(小熊英二 新曜社)では、日本列島の先住民族がアイヌであるとする多数派(鳥居龍蔵・小金井良精)に対して、伝説の絶滅人種コロボックルであると主張した新進気鋭の学者として登場します。彼にそのヒントを与えたのがこの遺跡かもしれません。気になる人物です。斜面を上り下り横穴をじっくりと見物し、ふと脇を見ると「この洞窟は地下軍需工場跡地です」という立て札。なに? 中に入ってみると、松代大本営を髣髴とさせる巨大な空間が広がっています。解説によると、第二次大戦末期に中島飛行機工場のために数十の横穴を破壊して掘削したが、本格的生産が始まる前に敗戦となったとのことです。工事は全国から集められた約3000人の朝鮮人が携わり、そのうちの一人が帰国の際に日本と朝鮮との平和希望して植えたムクゲ(朝鮮の国花)が現在でもこの地で生長をつづけている… もしやと思い受付で尋ねたら、管理棟の裏にあるよという答え。そそくさと行ってみると、清楚に花開く数輪のムクゲがありました。「神の代は かくやありけん 冬籠」という正岡子規の句碑も発見。不思議な因縁を感じます。1891(明治24)年、まだ発病する前に(喀血は1895年)、元気だった子規はここを訪れたのですね。坪井による発掘の四年後です。おそらく先住民族の住居跡という前提で詠んだのでしょう。
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 本日の一枚は、ムクゲの花です。
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by sabasaba13 | 2005-07-27 06:06 | 関東 | Comments(0)
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