再び「港文館」の前を通り過ぎ、幣舞橋を渡って左に曲がると、「くしろよろしく」という掲示がありました。…回文でした。裏道をホテルの方へ歩いていくと、北海道電力のビルを発見。うーむ、この会社が泊核(原子力)発電所をつくって、放射能によって大気や海洋や生物を汚染し、危険な核廃棄物を後の世代に押しつけた元凶か。
近づくと、「電気料金値上げに関するお願いについて」という掲示物がありました。その一部を転記しますか。"しかしながら、現在、泊発電所は長期停止した状態が続いており、火力燃料費が大幅に増加しております。…泊発電所の発電再開を見通すことができない状況が続くなか、現行の電気料金を維持したままでは、収支の改善を図ることは困難であり、今後、自己資本の毀損がさらに拡大し、燃料調達や設備の保守・保全などに必要な資金の調達も困難となり、電力の安定供給にも支障をきたすおそれが生じます" だから値上げだ文句あるか、嫌だったら核発電所の再稼動を認めろ、というわけですね。今現在の収支さえ改善できれば、深刻な事故の可能性も、放射能汚染も、核廃棄物を後の世代に押しつけることも知ったこっちゃない、か。その近視眼的な破廉恥心には感動すら覚えます。すぐ近くに「みんなで守ろう子どもたち 子どもの安全を見守る運動」というステッカーが貼ってあったのは強烈な皮肉です。耳なし法一みたいに、北海道電力ビル壁面すべてにこのステッカーを貼ったらいいのに。ちなみにこの運動の推進主体は、「北海道犯罪のない安全で安心な地域づくり推進会議」で、事務局は北海道/北海道警察/北海道教育委員会。各自治体教育委員会を使いっ走りにしている文部科学省が、原発予算にたかっている現状からすれば、望み薄ですけれどね。
その先には釧路停車場跡で、ここにも啄木の歌碑がありました。
浪淘沙
ながくも声をふるはせて
うたふがごとき旅なりしかな
啄木が「さいはての駅」と歌ったのはかつてここにあった駅なのですね。解説によると、1917(大正6)年に根室線(釧路-厚岸間)が開通したのにともない、釧路駅は現在の場所に移転。この駅は「浜釧路駅」と改称され貨物専用となりましたが、その後、操車場の新設により姿を消したそうです。
そして和商広場の前を通ってホテルに到着。
というわけで釧路の啄木史跡めぐり、一巻の終わりです。これまで彼の足跡は、
渋民村、
盛岡、
函館、
札幌、
小樽、
旭川、
本郷と辿ってきました。この釧路散策で一息ついたような思いですが、彼とのつきあいはこれからも永くなりそうです。なお啄木の歌碑は、
札幌、
大間崎、
上野駅、
佐野、
十和田湖で出会えました。こちらはまだまだ探訪の余地があるでしょう。