川越編(6):埼玉県立歴史資料館(05.7)

 さて、駅にもどり再び東上線に乗って武蔵嵐山で下車、徒歩で埼玉県立歴史資料館へ行く予定でしたが、美術館の受付に貼ってある「サイクリング・マップ」を見ると自転車で直接行けそうではありませんか。渡りに船、行ってみよう。流汗淋漓、30分ほどかかりましたが、歴史資料館に到着。源頼朝に仕えた畠山重忠の屋敷があった可能性が高い菅谷館跡に建てられた資料館です。資料館はこぶりで、菅谷館や中世武士に関する展示が中心です。ここ比企郡は中世においては交通の要衝で、数多くの館や山城がつくられたということははじめて知りました。そして菅谷館跡を見学。建物は残っていませんが、本丸・二の丸・三の丸をそなえた縄張り、土塁、空堀が良好な状態で保存されており、よく中世城郭の面影を残しています。木々が生い茂り、山百合も咲き始め、愛らしいキノコが顔をのぞかせる、ちょっとしたハイキング気分を楽しめました。友人に中世山城フリークがいるのですが、成程これは夢中になりそうですね。廃線・廃墟と山城にはまると抜け出せなくなりそうなので、君子は危うきに近寄らず/君子は多能を恥ず、しばらくおあずけとします。
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 ん、遠くにドイツ表現派風の大仰かつ無骨なコンクリート製建物とおおきな石碑が見えました。忠魂碑フリークの私はすぐピンときましたね、間違いない。近寄るとやはり忠魂碑、そして忠魂祠がありました。これは珍しい、後者は初見です。「この祠(ほこら)は西南戦争以来、各戦役等に散華した本町出身者342柱の御霊を合祀したものであります。」と解説板に説明がありました。プチ靖国神社ですね。靖国神社と、各町村につくられた忠魂祠が補い合いながら戦死者を顕彰し、次の戦死者を準備/再生産するというシステムを実感できました。「御魂(みたま)」ではなくて「御霊(みたま・ごりょう)」と表記してあることに注目。この世に恨みをもって死んでいった戦死者の祟りを鎮めるための祀り、つまり御霊信仰という側面があることを、問わず語りに物語っています。これは貴重な歴史資料です、ぜひ永久保存してほしい。それにしても歴史資料館と名乗る以上、この物件に関する展示や解説が館内になかったのは見識を疑いますね。
 ここでもらった地図をみながら近くの食堂で冷やしうどんを食べプランニング、時間もあるし嵐山渓谷方面に行くことにしました。さあ出発。資料館の正門前を走りぬけようとして、思わずハンドルをきりそこねましたね、わたしゃ。グリッ なんだこれは。「埼玉県立歴史資料館」と染められた赤・青・水色・黄・白の幟が数十メートルにわたって林立しています。中古車販売店か、ここは! 自転車から降りて、事態を冷静に把握するためにしばし沈思黙考。一つの仮説をたてました。入館者が減ると予算を削るぞと県庁に脅された資料館職員たちが、客寄せのためにつくった苦肉の策ではないか。もしあたっているとしたら、これこそ現代日本を象徴する光景、「この国のかたち」ですね。文化的機関・施設に対して、研究や教育の充実ではなく、利益と入館者の数の増加を強要する行政。昨日の大学で言えば、同じく研究や教育の充実ではなく、入学者数の増加を最優先する姿勢。社会からどんどんどんどん「品」がなくなっていくのが、いたたまれません。
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 ●埼玉県立歴史資料館 http://www.ksky.ne.jp/~rekishi/
by sabasaba13 | 2005-07-29 07:26 | 関東 | Comments(0)
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