第三帝国の恐怖と貧困 (1)

c0051620_6324099.jpg 「小倉久寛 祝還暦記念コントライブ」の際にいただいたチラシの中に、東京演劇アンサンブルによるブレヒト作「第三帝国の恐怖と貧困」公演がありました。「三文オペラ」「母アンナの子連れ従軍記」「ガリレイの生涯」を書いたベルトルト・ブレヒトの演劇は、お恥ずかしい話、実演を見たことがありません。チラシのキャッチ・コピーには"遠い昔の話ではない。遠い(昔の)国の話でもない。今。""戦争なんてまっぴらだ。戦争したいのは君だ!""オムニバス14編から浮かびあがるのは、ナチス支配下で徐々に日常を奪われ、価値観を狂わされていく庶民の姿"とあります。戦争への道をぶいぶいと突っ走る、最近とみにアドルフ・ヒトラーに似てきた安倍晋三伍長、スマホやらSNSにうつつをぬかして無関心な庶民、日本の現状を考える上で何か触発されそうな劇ですね、これは面白そうです。さっそくチケットをインターネットで購入し、芝居好きの山ノ神を誘って、観劇することにしました。
 弥生好日、西武新宿線の武蔵関駅で下車し、持参した地図を頼りに公演会場の「ブレヒトの芝居小屋」に辿り着くと…ふたりして目が ・ になりました、いやほんと。まるで潰れかかった場末の町工場(失礼)。しかしちゃんと切符をもぎる方もいるし、本日は千秋楽ということなのかけっこうお客さんもいるし、一安心しました。劇場に入るとまたびっくり。ステージではなく、石畳を敷いたフロアと、それを三方から取り囲む野球場のような階段状の座席。収容人数は100人ほどでしょうか。役者の演技を至近距離で見られるわけですね、これは楽しみです。なお後でわかったのですが、この建物も舞台もすべて団員の手作りで、ここで暮らしながら演劇活動に取り組んでいるとのことです。
 まずはパンフレットを参考に、東京演劇アンサンブル(TEE)を紹介しましょう。結成は1954年、都市だけで演じられている芝居を全国にもっていこう、その時代をビビッドに反映している芝居を創ろう、という思いから平均年齢20才の18人の若者たちが立ち上げました。そして同じ頃に出逢ったのがブレヒトの演劇でした。変革するものとして世界を構造的に捉えながら、細部にはこまやかなリリシズムがみちあふれるブレヒトの戯曲。衝撃を受けた彼らは、ブレヒト作品を連続上演し、劇場の名を「ブレヒトの芝居小屋」とし、劇団の名を「東京演劇アンサンブル」としました。ブレヒトが主宰した劇団の名が「ベルリーナー・アンサンブル」だったのですね。
 なおベルトルト・ブレヒトについても、スーパーニッポニカ(小学館)から紹介します。
 ベルトルト・ブレヒト Bertolt Brecht (1898―1956) ドイツの劇作家、演出家
 1898年2月10日、アウクスブルクの工場支配人の子として生まれる。ミュンヘン大学の医学生であったが劇場の仕事に転じ、1922年『夜鳴る太鼓』でクライスト賞を受けた。24年ベルリンへ移り、演出家マックス・ラインハルトのもとで活躍、そのころからマルクスを学ぶ。28年には女優ヘレーネ・ワイゲルと結婚、同年初演の『三文オペラ』で大成功を収めた。30年からは『試み』と題して続々作品を出版、音楽家ハンス・アイスラーと協力、映画『クーレ・ワンペ』をつくる。33年、オーストリア、スイスなどを経てデンマークに亡命。35年にはパリの国際作家会議に出席して反ナチスの活動を推進、36年からモスクワでドイツ亡命作家の機関誌『ことば』をフォイヒトワンガーやビリー・ブレーデルと協力して発行。41年アメリカに亡命したが、第二次世界大戦後の47年、非米活動審査委員会の審問を受け、かろうじてヨーロッパへ脱出。スイスを経て48年東ドイツに戻り、翌49年には妻のヘレーネ・ワイゲルとドイツ民主共和国の首都ベルリンで劇団「ベルリーナー・アンサンブル」を設立。52年、ブレヒトの全著作に対して国民賞、54年にはレーニン平和賞が贈られた。
56年8月14日、多くの仕事を残してベルリンで逝去。
 さて、本作は1935年から38年にかけて、亡命先のスヴェンボル(デンマーク)で、友人たちの情報や新聞記事をもとに書かれました。ナチスを批判したために弾圧を受けたブレヒトは、国会議事堂放火事件の翌日(1933年2月28日)に入院中だった病院を抜け出し、ユダヤ人であった妻のヴァイゲルと長男シュテファンを連れてドイツから脱出しました。そしてプラハ・ウィーン・チューリッヒを経由してデンマークのスヴェンボルに亡命します。この間、ナチ党政府はブレヒトの著作の刊行を禁止して焚書の対象とし、1935年には彼のドイツ市民権を剥奪しました。余談ですが、その亡命生活の悲痛を綴った彼の詩に、友人の作曲家ハンス・アイスラーが曲をつけたのが「小さなラジオに (An den kleinen Radioapparal)」です。『Melodie』というアルバムに収録されていますが素晴らしい曲です。
小さなラジオよ、亡命の間も
真空管がこわれないように
気をつけて家から船に、船から汽車にお前を運んだ
敵どもの声がこれからも私に届くように

僕のベッドの脇でお前は僕を苦しめる
最終放送は真夜中、一番は早朝
敵の大勝利ばかり知らせ、僕には苦痛だ
約束してくれ、お前は突然黙り込んだりしないと
 なおアラン・レネが監督した映画『夜と霧』の音楽を担当したのもハンス・アイスラーでした。
by sabasaba13 | 2015-04-17 06:33 | 演劇 | Comments(0)
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