北海道編(46):帯広(13.9)

 それでは帯広レトロ物件めぐりを始めましょう。そうそう、先日読み終えた厠上本、『ニコライの日記 ロシア人宣教師が生きた明治日本』(岩波文庫)の中に、次のような一節がありました。
 きょう届いた手紙の一通は、北海道のロマン福井(寧)神父からのもので、こう書いている。「帯広は新しい入植地であるため教会として使うのに適した建物を借りるのはきわめて困難です。それで、信者たちは教会堂を建てることに決めました」 (下p.282 1908.5.5)
 帯広は新しい入植地なのですね。気になったのでウィキペディアで調べてみました。それによると、帯広の街は、官主導の屯田兵や旧幕府家臣による開拓ではなく、静岡県出身の依田勉三率いる晩成社一行が1883 (明治16)年5月に入植したのが開拓の始まりです。その後の開墾は冷害や虫害など苦難の連続でしたが、1895(明治28)年に北海道釧路集治監十勝分監が開設されると、受刑者によって大通が整備されていき、市街地が形成されていったとのこと。ここでも囚人労働が関わっていたのか。
 まずは十勝信用組合本店へ。立ち並ぶ列柱が印象的ですが、1933(昭和8)年に当時の安田銀行が建築したものだそうです。その先にあるのが噂の双葉幼稚園、赤いドーム屋根が愛らしい物件です。『建築探偵 東奔西走』(藤森照信 朝日新聞社)から引用しましょう。
 赤い大きなドーム屋根、その上にチョコンとのる尖塔、三角の突き上げ窓、どれもシロウトっぽいデザインだが、逆にそこがおとぎの国を思わせて楽しい。
 しかし、僕が本当に驚いたのは、そういう見た目のデザインではなくて、全体の構成だった。中央に大きなドームをかけてその下に遊戯室を置き、遊戯室の周りを教室とし、平面全体を正方形とする。
 出たり入ったり複雑になりがちな園舎建築としてはあまりに単純だから、コレハナニカアルと直感し、図面を見せていただいてピンと来た。ドームの下の遊戯室の空間がちゃんと球形に納まっている。
 つまり、この園舎は、球と立方体の組み合わせから出来ているのだ。
 球+立方体=幼稚園
 こんな素朴というか観念的な構成原理の建物はこれまで見たことがない。いったい誰が考えて設計したんだろう。
 この点を園長の臼田時子さんに聞いてみた。
「母の梅が大正十一年にやったんです。この園舎を作るために、仙台のキリスト教系の保母養成学校に行って一年間勉強してますが、その時、例のフレーベルの幼稚園思想に触れて感動し、その考え方を実現しようとしたそうです」
 フレーベルと聞いて、僕のデザイン知識はピクンとした。彼の幼稚園思想の面白さはえらく即物的だったことで、
「宇宙万物は神の知性により基本的な形に作られている」
 と考えていた。そして、その基本的な形からなる遊び道具を作り、それを神から与えられた〈恩物〉と名付けて子供たちに使わせた。
 僕は、フレーベルについてこのていどの知識はもっていたが、しかし恩物なる遊具がどんなシロモノかお目にかかったことはない。
 ところがさいわい、臼田園長によると、「母の梅が仙台から持ち帰った恩物が残っています」とのこと。
 お願いすると、奥の方から小さな木箱を持ってきて開けてくれた。
 するとそこには、子供の手のひらにちょうど入るくらいの
〈球〉と〈立方体〉
 があった。(p.188)
 門扉が閉まっているので、周囲をうろうろし何枚か写真を撮りました。へえ、リスも飛び出すのか。エゾシカとヒグマには出会えたので、エゾリスにもぜひ遭遇したいものです。(伏線)
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-04-25 07:17 | 北海道 | Comments(0)
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