同じ道を戻って国道へ、層雲峡方向へすこし走ると、第五音更川
橋梁を道路から見ることができました。10mの無筋コンクリートアーチが連続し、音更川を跨ぐところに23mのコンクリートアーチがかけられています。ここから糠平温泉方向へすこし戻ると、幌加駅跡があります。駅舎はすでになく、
廃線とホームだけの荒涼とした風景がひろがります。解説板によると、1954(昭和29)年の
洞爺丸台風により幌加周辺に大量の風倒木が発生、その処理に多くの造材人夫が入り、住宅・商店・飲食店・事務所などがこのあたりに建設されました。1962(昭和37)年頃の幌加は約80軒の建物があり、350人くらいの人が住んで賑やかな町を形成していましたが、風倒木の処理が終わると人は次第に消えていったそうです。今では往時を偲ぶ縁は何もありません。
それでは第三音更川橋梁へと向かいます。途中に、対岸のタウシュベツ橋梁を遠望できる展望台がありますがカット。五の沢の駐車場に多くの車が停まり、家族連れで賑わっていましたが、旧士幌線跡を足こぎトロッコで走れるそうです。車窓から三の沢橋梁を撮影。
糠平温泉を抜けてしばらく走ると第三音更川橋梁に到着。下車して車道から眺めることができました。解説板によると、この橋は現存する北海道内の鉄道用コンクリートアーチ橋としては最も古く、32mアーチスパン(径間)は最も大きなものだそうです。この橋梁の成功により日本各地で大きなアーチ橋が沢山つくられるようになりました。また、設計計算や施工の状況が克明に記録された資料が残されており、学術的にもたいへん貴重とのこと。
山と川を背景にきれいな弧を描く橋を撮影して車に戻ろうとすると、ぞわっ、ひとそろいの革靴が無造作に脱ぎ捨てられています。なんなんだこれは? さっそく四人で鳩首会議、樹海へ入っての自殺、熊に食べられた、靴屋の宣伝、マリー・セレスト号事件、諸説飛び交いましたが結論は出ず。そそくさと立ち去りました。糠平温泉へ戻る途中に車窓から見えたのが第四音更川橋梁のアーチの一部。この橋は撤去されてしまったそうです。
老夫婦が糠平温泉街で鹿を見かけたと言うと、運転しているガイドさん曰く、エゾシカが増えすぎて農作物の被害が70億円にも及び、現在は駆除しているとのことです。減ったら減ったで保護し、増えたら増えたで駆除する、人間なんてほんとうに勝手なものです。そして糠平温泉文化ホールに到着、ガイドさんに丁重にお礼を言って別れました。ホールのトイレを借り
男女表示を撮影。
壁には「幻の橋 今年で見納め!?」という十勝毎日新聞の記事が掲示してありました。ついでに第三音更川橋梁の観光ポスターも撮影。
本日の二枚、第五音更川橋梁と第三音更川橋梁です。