『終わりと始まり』

 『終わりと始まり』(池澤夏樹 朝日新聞出版)読了。氏の著作は二つしか読んだことがありません。アイヌの眼から日本近代のあり様を鋭く批判した小説『静かな大地』と、ユニークな箴言集『叡智の断片』。ともに面白く、かつためになったので、また彼の著作を読んでみたいなと思っていた矢先、2009年から2013年まで朝日新聞に連載されたコラム集である本書を知りました。さっそく購入してあっという間に読み終えてしまいました。イラク戦争後の混乱、オバマ大統領の当選、東日本大震災といった状況の中、日本という国のあり様が、いかにいかがわしく胡散臭いものであったかを、容赦なく指弾されます。その快刀乱麻の鋭い舌鋒には快哉を叫びたくなりました。よくぞ言ってくれた、ブラーボ。簡にして要を得た明快な文章、意表をつく卓抜な比喩、それらを支えるヒューマンな感情。
 時あたかも、オバマ大将と安倍伍長の日米首脳会談が開かれたところです(2015.4.28)。インターネットの記事を拝見すると、そこでは意味不明で曖昧で身勝手な言葉が発せられています。曰く、"アジア太平洋地域や世界の平和構築に向けた関係強化"、曰く、"(※日米関係は)ルールに基づく国際秩序の構築に寄与してきた"、曰く、"力や強制により一方的に現状変更を試みることで主権や領土一体性の尊重を損なう国家の行動は国際秩序への挑戦"。やれやれ、このお二人にはきちんと歴史を勉強してほしいものです。はい、ここで問題です。第二次世界大戦後、世界で最も、世界の平和構築およびルールに基づく国際秩序の構築を脅かし、力や強制により一方的に現状変更を試みることで他国の主権や領土一体性の尊重を損なってきた国家はどこでしょう?
そうした軽くて薄っぺらい言葉に、池澤氏の重く分厚く鋭い言葉を対峙させてみましょう。その志の差は歴然とします。
 先日のボンの会議で日本が提唱した2020年までの温室効果ガス削減目標の数字は落胆と失笑を買った。この国では目前の利を求める産業界がことの流れを決め、政府はそれに奉仕し、国民は無関心、という構図をそのまま映すものだった。(p.26)

 では、この長い歳月に対して、国民はどこまで責任があるのだろう? この政権を選び、それを保持してきたこと。それ以上に、少数者に不利を押しつけて安閑としてきた多数者のおごりと怠惰。(p.73)

 小泉政権はあからさまなリバタリアン(自由至上主義者)だった。儲けられる立場の者はいくらでも儲ければいい、政治はそれを応援するという姿勢。好況になれば富は下の方まで流れてくるという、いわゆるトリクルダウン理論だが、これはまったく機能しなかった。下流で待っていても何も来ないという悲しい流し素麺。(p.81)

 国民が一致団結している方が国は強い、と為政者は考える。彼らの理想は軍隊のような完璧な上意下達の組織だ。基本にあるのは国家のための国民という考え(大型トラックか戦車を運転しているような気分なのだろうが、その力の源はエンジンであって、為政者自身の筋力ではない)。
 それが民主主義は多数決という欺瞞と重ねて使われる。小学生の頃からこの欺瞞を何度聞かされたことか。(p.118)

 独裁者は社会を縦軸に沿って造る。
 自分の意向が下へ下へと滞りなく届く。それだけ。
 もし国民の間に不満の声があるとしても、それは風のない日の煙のように、ただ上へ昇るものでなければならない。
 大事なのは横方向の連絡を断つことだ。国民が自分たちの不満を語り合ってはいけない。何よりも彼らが自分たちの数を知ってはいけない。潜在的な力を覚ってはいけない。
 そのために秘密警察と密告奨励の制度が作られ、横向きの不満の声を摘み取って上に届ける。やがて声の源へ鉄槌が下る。
 天安門事件を起こさせたのはあの広場の広さだった。集まった十万人の人たちは自分たちの数を目で見て確認した。それが彼らの力になった。(p.120)

 子犬が室内で粗相をしたら、その場へ連れて行って、鼻面を押しつけ、自分が出したものの臭いを嗅がせて頭を叩く。お仕置きをして、それはしてはいけないことだと教える。そうやって躾けないかぎり室内で犬を飼うことはできない。
 我々はこの国の電力業界と経済産業省、ならびに少なからぬ数の政財界人から成る原発グループの首根っこを捕まえてフクシマに連れて行き、壊れた原子炉に鼻面を押しつけて頭を叩かなければならない。(p.150)

 1950年代にこの病気が発生して以来、加害者であるチッソと県ならびに国は、
 患者の訴えを無視し、
 原因をすり替え、
 責任を回避し、
 謝罪を拒み、
 事態を矮小化し、
 補償の額を値切り、
 収束を宣言しようとしてきた。(p.185)

 2004年8月の沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事件で米軍はまことに横暴にふるまったが、幸いこの事故では住民への被害はなかった。今もしオスプレイが墜ちて、もし1959年の宮森小学校米軍機墜落事件のようにたくさんの死者が出たら(小学生11人、一般住民6人)、抗議する沖縄人は基地になだれ込むだろう。米兵は彼らを撃つかもしれない。(p.218)

 平和というのはただのんびりした状態ではなく、戦争の原因を排除しつづけて得られる微妙な安定である。今、ヨーロッパ各国の間に戦争の気配がないのは彼らの努力の成果だ。それに対してアメリカはどこかで戦争をしていないと運営できない国のように見える。(p.222)

 どちらの国でも普通の人々は誰が戦争で利するのか考えた方がいい。というぼくの声が中国の普通の人たちに届くとは思えないが、同じように考える人があちらにもたくさんいることをぼくは信じている。(p.222)

by sabasaba13 | 2015-05-10 07:06 | | Comments(0)
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