『地に呪われたる者』

 『地に呪われたる者』(フランツ・ファノン みすず書房)読了。ずっと前から読もうと思いながら積ん読だけだったのですが、ようやく念願が叶い読み終えました。まずはスーパーニッポニカ(小学館)から、彼のプロフィールを引用します。
フランス・ファノン Frantz Fanon (1925-61) フランス領西インド諸島のマルティニーク島出身の黒人精神科医、思想家。フランスで精神医学を修め医師となるが、白人社会における黒人の矛盾に満ちた立場を分析した『黒い皮膚、白い仮面』(1952)で世に出た。ついでアルジェリアの病院に勤務したが、アルジェリア独立運動に共鳴して1956年病院を辞しアルジェリア民族解放戦線(FLN)に参加し、その指導的理論家となった。アルジェリア独立をみることなく61年病気療養先のアメリカで客死するが、その著作とくに『地に呪われたる者』(1961)は単に植民地体制を暴力そのものであると告発した反植民地主義の理論の書であるばかりでなく、ヨーロッパ文明に対する根源的批判の書として第三世界の民族運動やアメリカの黒人解放運動に大きな影響を与えた。
 ファノンが行なった、ヨーロッパ文明への根元的批判とは何か。彼の言葉を借りて、ヨーロッパ文明の問題点を列挙すると次のようになるでしょう。仕事の能率と強化と速度を最優先すること、人間を片輪にする方向へ引きずり、頭脳を磨滅・混乱させるリズムを押しつけること。そして"追いつけ"という口実のもとに人間をせきたてて、人間を自分自身から引きはなし、人間を破壊し、これを殺してしまうこと。人間の機能を病的に分裂させ、その統一を粉々にしたこと。人種的憎悪・奴隷制度・搾取を蔓延させ、15億の人びとの血を流させたこと。
 ではわれわれはどうすればよいのか。漠然とした物言いですが、ファノンは次のような美しく力強い言葉を語っています。
 否、われわれは何者にも追いつこうとは思わない。だがわれわれはたえず歩きつづけたい、夜となく昼となく、人間とともに、すべての人間とともに。(p.183)
 私なりに考えれば、こうなるでしょうか。追いつこうとしない、言い換えればヨーロッパ文明を否定すること。あるいは自己目的としての経済成長を追い求めないこと。歩き続けること。黙従も忍従もせず、無関心にも無気力にもならず、抵抗を続けること。言うは易く行うは難し、でも私たちの行く手を照らしてくれる篝火に値する言葉だと思います。

 もう一つ、宗主国(旧植民地権力)と植民地支配層(ブルジョワジー)の関係についての鋭い指摘を紹介します。
 だが後進国にあっては、すでに見たごとく真のブルジョワジーは存在せず、存在するのはガツガツした強欲貪婪な、けちな根性にとりつかれた、しかも旧植民地権力から保証されるおこぼれに甘んじている、一種の小型特権層(カースト)である。この近視眼のブルジョワジーは、壮大な思想や創意の能力におよそ欠けていることを露呈する。(p.100)
 …あれっどこかで見たことがあるようなシチュエーションですね。…おおっアメリカと日本の関係だ。"ガツガツした強欲貪婪な、けちな根性にとりつかれた、しかもアメリカ合州国から保証されるおこぼれに甘んじている、一種の小型特権層(カースト)"、安倍伍長率いる自由民主党、高級官僚、財界のお歴々に熨斗をつけて進呈したいものです。さらに深刻なのは"この近視眼のブルジョワジーは、壮大な思想や創意の能力におよそ欠けていることを露呈"しているのに、われわれ一般市民の多くが、それに気付かない、あるいは無関心であることです。アメリカと大企業の利益の前には、沖縄や福島をはじめとする一般民衆の利益など屁とも思わないという既定路線にしがみつくしかない、壮大な思想や創意の能力を欠く、ガツガツした強欲貪婪な、ケチな根性にとりつかれた御仁たち。ちょっと気にしてちょっと本を読んでちょっと考えれば分かりそうなものですが。
 これはもう病気かもしれませんね。ジャン=ポール・サルトルが序に書いた一文にちょっと手を入れれば、"日本はかつて国の名であった。用心しよう、2015年にはそれが神経症の名前かもしれないのだ"。
by sabasaba13 | 2015-05-12 06:32 | | Comments(0)
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