植治の庭編(9):並河靖之七宝記念館(13.11)

 それではお庭を拝見しましょう。それほど広くはない庭の中央は疎水を引き入れてつくられた池が占めており、その上に主屋が釣殿のように張り出しています。まさしく「水の庭」ですね。
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 もう一つの見どころは石です。風格のある沓脱石、空中に浮かぶような一文字の手水鉢、さまざまな意匠の燈篭、リズミカルな沢飛び石、柱の礎石に使われた伽藍石。見て歩いて楽しめる石の饗宴です。
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 中でも犬走り(※建物の足元が泥の跳ね返りなどで汚れるのを防ぐために設けられた通路状の舗床)は圧巻でした。波打つような舗床に、古瓦をまじえたさまざまな形の石が敷き詰められた秀逸な意匠。飛び石や景石(※風致を添えるためにところどころに置かれている石)とあいまって、まるで抽象絵画を見ているよう。植治の遊び心に惹きこまれます。紅葉はそれほどなかったのですが、一見の価値はあるお庭です。お薦め。
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 それでは昼食の予約を入れてある「菊水」へと向かいましょう。白川沿いの紅葉を楽しみながら南禅寺の参道へと行き、右に曲がると「対龍山荘」がありました。『庭師小川治兵衛とその時代』から引用します。
 対龍山荘という名は、南禅寺の山号が瑞龍山であることによるといわれる。瑞龍山に対峙するという意味で対龍山荘という名がつけられたのである。したがって建物の中心をなす書院は対龍台と名づけられている。正面から京都の名刹南禅寺に対峙しようとする名称である。その意気込みにふさわしい大きな広がりをもつ別荘といえよう。市田弥一郎は彦根の商家の三男に生まれ、才能を見込まれて市田家の養子に入り、呉服の行商から出発して維新後の1874(明治7)年には、東京日本橋に京呉服の卸問屋を構えるまでになったという、立志伝中の人物である。京都の伝統的呉服商の近代化に成功した実業家といえよう。
 対龍山荘は市田弥一郎の私的な別邸であるとともに、そのビジネス商品である呉服を示し、顧客に深く印象づける舞台装置でもあったのではないか。小川治兵衛の大庭園は、そうしたビジネスとも結びついている。庭園に近代性が宿る所以である。単なる庭師でなく、総合的なプロデューサーの視点をもって、彼は庭園の構成をまとめあげ、その効果的な使い方を演出したのである。いたずらに象徴主義的な構成を墨守せず、広々と開ける快活な自然主義的庭園を彼が求めたのは、時代が要求する庭園の本質を植治が見通していたからである。(p.135~6)
 小川治兵衛の代表作、見たい、見たい、見たいと子供のようにだだをこねても非公開です。"この中に入れてくれよと泣く子かな" 非情にも門は堅く閉ざされていました。現在はニトリの所有となり迎賓館として利用されているとのこと。ニトリの家具を1万円以上購入したら抽選で招待してもらえる、なんて無理ですかね。英断を期待します。

 本日の四枚、並河靖之七宝記念館(3枚)と対龍山荘です。
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by sabasaba13 | 2015-05-29 06:31 | 京都 | Comments(0)
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