植治の庭編(11):無鄰庵(13.11)

 そして無鄰庵へ。先述のように、小川治兵衛が多大な影響を受けた山県有朋との出会いをもたらした庭です。和風建築の主屋の縁に座ると、お庭の全貌を一望することができます。広々とした芝生とその両側を覆う木立、ゆるやかに蛇行する流れは琵琶湖疏水から引いたものですね。庭の奥には、借景とされた東山がたおやかな姿を見せています。伽藍石などをおりまぜた遊び心にあふれる飛石が、見る者を奥へ奥へと誘うかのよう。それではそぞろ歩いていきましょう。流れを堰き止めるように石を連ねる「瀬落ち」が随所にもうけられ、さまざまな水音を奏でています。敷地が細長い三角形になっているので、奥に行くにしたがって木々が密集する深山幽谷の趣となり、やがて三段になった滝があらわれました。醍醐寺三宝院の滝を参考にしたとされ、水の流れる方角を変えることで変化に富んだ水音を楽しめます。その前の流れには無造作に沢飛び石がしつらえられていますが、一つは足の置けない尖った石なので、自然と大きな弧を描いて歩くことになります。洒落た趣向ですね。石の上から下手を眺めると、流れは浮島を浮かべた池となり、おおいかぶさる紅葉とあいまって、美しい景観を楽しめました。
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 茶庭や禅寺といった象徴主義的庭園から、自然主義的庭園への移行の画期となった無鄰庵庭園。必要以上の象徴もなければ、見立ても名所の写しもない。あるがままを基本として、自然の水の流れ、喬木の梢のそよぎなどを庭に取り込んだ近代和風庭園の嚆矢、こちらは一見の価値があります、お薦めです。
 なお入口の脇に無骨で無愛想な洋館がありますが、ここの二階で開かれたのが「無鄰庵会議」です。1903 (明治36)年4月21日、元老・山縣有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎がここにおいて、ロシアの満州における権利は認めても、朝鮮における日本の権利はロシアに認めさせる、これを貫くためには対露戦争も辞さないという態度で対露交渉にあたるという方針への合意がなされました。それにしてもまるで蔵のような閉ざされた防御的な建物です。暗殺を恐れた山県はおそらく、夜はこの洋館に寝たのでしょう。他人をほとんど信じない権力者の孤独をひしひしと感じます。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2015-05-31 09:19 | 京都 | Comments(0)
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