植治の庭編(17):京都解放運動戦士の碑(13.11)

 知恩院の三門の下を通り過ぎて少し歩くと、駐車場のところに「京都解放運動戦士の碑」入り口という看板がありました。何だ何だそれは、気になるので見にいきました。駐車場の片隅に、神社の屋根のようなモニュメントがぽつねんと建っています。後学のために「碑の由来」を転記しておきます。
 日本人三百十万人、アジア人二千万人が殺された第二次世界大戦、その多大な惨禍と犠牲を払って、私たちは、主権在民と平和主義を基調とする日本国憲法と自由を獲得しました。それまでは平和や主権在民を唱えることも、また、働くものが生活と権利を守るため自ら団結することも、治安維持を名目に、犯罪として厳しく取り締まられ、苛酷に弾圧されました。このなかにあって、平和と自由を求め、民主的日本の建設を願い、万人の幸福な社会の建設を願い、万人の幸福な社会の実現を志して、進歩的・革新的社会運動に身を投じ、逮捕・投獄され、獄死・虐殺、また、不幸にして病死された、少なくない先覚者たちがいました。
 このようにわが国の平和・民主運動に尽くされ、逝去された京都にゆかりのある有名・無名の解放運動戦士の方がたを合祀しその偉業を顕彰するため、京都旧友クラブ、日本国民救援会京都府本部のよびかけた建碑運動によって、1958年3月15日、京都解放運動戦士の碑はここに建立されました。(後略) 京都解放運動戦士の碑維持委員会
 いったい誰が合祀されているのか気になるところですが、京都+社会運動とくれば、河上肇と山本宣冶は当確でしょう。それにしても、何故知恩院に建てられたのか。日本共産党加賀市議会議員、真後ゆき子氏のサイトで、興味深い話が紹介されていました。建碑実行委員会事務局長で印刷業を営んでいた田村敬男氏が、採算を度外視して知恩院の大事な資料の印刷を請け負ったことから、糸口ができたそうです。敷地貸与の申し出をしたところ、知恩院本山の宗務会は赤旗の林立を恐れて反対しました。しかし、教学部長の井川定慶師が「法然上人は、時の権力に反対して島流しに遭われたが、そうしたときにも遊女を救われた。戦争中、国賊と罵られ、親兄弟から見放されても戦争反対を主張し、難儀を受けた人たちが法縁を求めてきている。これも無下に断っては、ご開祖法然上人のご意思に反するのでないか」と宗務会を説得し、三門北側の土地15坪を永代無償で貸してもらえることになったそうです。いい話だなあ。
 平和や主権在民を求める社会運動が"治安維持を名目に"厳しく取り締まられ苛酷に弾圧された、という表現は鋭い。政府への抵抗を抑圧し、権力者・富裕者に有利なシステムを維持するために、しばしば持ち出される言葉が、治安維持・安寧秩序・公益・公の秩序です。大日本帝国憲法第28条「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」しかり、自民党憲法草案第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」しかり。人権が政府にとって邪魔にならないよう制限し、不平等なシステムを維持するために差別の網の目を張りめぐらす。これは戦前も戦後もあまり変わっていないのではないでしょうか。C・ダグラス・ラミス氏が『要石:沖縄と憲法9条』(晶文社)の中で次のように述べられています。
 階級社会のなかで治安を守る有効な方法の一つは、最も貧しく、差別されているグループに、さらに地位の低いグループがいる、と説得することであるのは、周知のとおりだ。(p.166)

 それから、三番目に人権条項ですが、もちろん大日本帝国憲法にも人権条項があったけれども、条件つきです。法律に反しない限り、秩序に反しない限りという条件がついているわけです。そういう人権は人権ではないんです。政府は、許される限り、つまり政府にとって邪魔にならない限りやってもいいよということです。それは不可侵の人権とは違うことですね。自民党新憲法案にはその条件が付加されているわけです。「法律に反しない限り」は復活していないけれども、「公益及び公の秩序に反しない限り」ということです。秩序に反しない限りの人権は人権ではないんです。人権は秩序に反することが多いんです。デモ行進をやるときとか大きい運動を起こすとき、交通はうまく動かないしいろいろあるんです。公益とは何なのか。それは国益ですね。だから、そういう条件つきの人権に変えようとしています。(p.183)
 治安・公益・秩序といった言葉を政府が使ったら、眉に唾をたっぷりと塗って聞かなければなりません。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-06-09 06:29 | 京都 | Comments(0)
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