重森三玲の庭編(9):友琳の庭(14.3)

 タクシーの運転手さんにお願いして、すぐ隣にある吉川八幡宮に寄ってもらいました。三玲の生家から数百メートルのところにあり、幼い頃から何度も足を運び、影響を受けたと言われている神社です。縦に長い拝殿が印象的な、素朴ですが凛とした雰囲気の本殿でした。門前にある石組も重森三玲の手によるものだそうです。なおこの近辺には、三玲の手による小倉邸の「曲嶌庭」および西谷邸の「旭楽庭」という庭、大村寺には「功徳庵」という茶室があるそうですが、見学の可否や所在地等、事前に充分に調べられませんでした。再訪を期しましょう。
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 そしてタクシーで十数分走ると、吉備中央町役場賀陽庁舎にある「友琳の庭」に到着です。もともとは京都友禅工業協同組合「友琳会館」の中庭だったのですが、会館の建て替えにともない、三玲の出身地である吉備中央町が新庁舎の中庭として譲り受けました。作庭は1969(昭和44)年、73歳のときの作品です。
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 このお庭も素晴らしい。水が浅くはられた池にさまざまな色合いと大きさの石を敷き詰め、抽象的でモダンな意匠を描いています。水をとおして見る石の色合いの美しさには、驚きました。三玲はそれを計算して、浅い池としたのでしょう。後日、桂離宮を訪れたときに、係りの方が梅雨の頃がお薦めだと言われました。混雑していないこと、そして雨に濡れた石が美しいこと。納得です。そして細長い石によって描かれた、蝶の触角のような大胆な文様にも目を奪われます。これは、宮崎友禅による振袖の傑作、「束ね熨斗」の文様を模したものだそうです。そして諸所に置かれた立石を中心とした石組、それを囲む緑の苔、遊び心にあふれた沢渡り石、奥にある枯山水など、しっかりと伝統的をふまえています。このお庭も、彼の美学と伝統がスパークして誕生したものでしょう。類稀なる装飾性には、琳派の影を感じました。尾形光琳が作庭したら、このような庭をつくったかもしれませんね。なお六日の菖蒲、十日の菊ですが、役場なので建物の内部に入れたはず。ということは、上階からこのお庭を鳥瞰して全体像を見ることが(たぶん)できるのでしょう。ああ惜しいことをした。ま、いいや、ぜひ再訪を期しましょう。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2015-07-12 08:00 | 山陽 | Comments(0)
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