『戦場ぬ止み』

『戦場ぬ止み』_c0051620_6441976.jpg 最近、日本および世界の戦後史を見直さなければいかんと一念発起し、関連の書籍を読み続けています。日本の戦後史に関しては、宗主国アメリカと属国日本が、植民地沖縄を犠牲にして、さまざまな利益を貪ってきたという大きな構図が見えてきました。さらに沖縄県民の民意を無視して、辺野古に新基地を作りつつある安倍政権、それに抗う沖縄の人々。今、沖縄で何が起こっているのか。切実に知りたいと思っていた矢先に、『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』という映画のことを知りました。タイトルは辺野古のゲート前フェンスに掲げられた"今年しむ月や 戦場ぬ止み 沖縄ぬ思い 世界に語ら (くとぅししむぢちや いくさばぬとぅどぅみ うちなーぬうむい しけにかたら)"という琉歌の一節に由来しています。「今年の11月の県知事選挙は、私たちのこの闘いに終止符を打つ時だ! その決意を日本中に、世界中に語ろうじゃないか」という意味です。さっそく山ノ神と連れ添って、ポレポレ東中野で見てきました。内容については、チラシに過不足ない素晴らしい要約が載っていましたので引用します。
 今、辺野古の海を埋め立てて最新のアメリカ軍基地が作られようとしている。巨大な軍港を備え、オスプレイ100機が配備されるそれは、もはや普天間基地の代替施設などではない。
 2014年8月14日、大浦湾を防衛局と海上保安庁の大船団が包囲。日本政府は機関砲を装備した大型巡視船まで投入して、建設に抗議するわずか4隻の船と20艇のカヌー隊を制圧した。陸上でもなんとかエ事を止めようと市民が座り込みを続ける。基地を作るのは防衛局だが、市民の前に立ちはだかるのは沖縄県警機動隊と民間警備会社。国策に引き裂かれ、直接ぶつかり合うのは県民同士だ。「私を轢き殺してから行きなさい」と工事車両の前に身を投げ出したのは、あの沖縄戦を生き延びた85歳のおばあ。彼女にとって沖縄はずっといくさの島、それを押し付けるのは日本政府だった。
 沖縄の怒りは臨界点を超えた。11月の県知事選は保革を越えた島ぐるみ闘争に発展。「イデオロギーよりアイデンティティー」と新基地建設反対の翁長雄志氏が圧勝、続く衆院選でも民意を叩きつけた。しかし国策は止まらない。海上の抗議活動を屈強な「海猿」たちが排除していく。日々緊張を増す現場で負傷者や逮捕者が出る…。はたして今、沖縄で本当は何が起きているのか?
 本作で三上智恵監督(『標的の村』『海にすわる~辺野古600日間の闘い~』)が描くのは激しい対立だけではない。基地と折り合って生きざるをえなかった地域の人々の思いと来し方。苦難の歴史のなかでも大切に育まれた豊かな文化や暮らし。厳しい闘争の最中でも絶えることのない歌とユーモア。いくさに翻弄され続けた70年に終止符を打ちたいという沖縄の切なる願いを今、世界に問う。
 監督は三上智恵氏、元は毎日放送や琉球朝日放送のアナウンサーで、現在はジャーナリスト、映画監督として活躍されています。冒頭のシーンで映し出された辺野古の美しい海と珊瑚礁、そこに無残に投下されるアンカーにまず衝撃を受けました。頭ではわかっていたつもりですが、映像で見るとその酷さが身に沁みます。ここまで自然を破壊し、住民の生活を脅かし、新基地建設を強行する日本国政府。それに対して、デモ、集会、座り込み、抗議、海上でのカヌー行動、ありとあらゆる手段を駆使して阻止しようとする沖縄の人々。それを排除する沖縄県警と機動隊、そして海上保安庁。さらに基地賛成派と反対派に分断された住民たちの苦渋など、三上監督のカメラは今現在の辺野古の状況をあますところなく記録していきます。
 戦後の"平和な日本"が、沖縄に米軍基地を大量に押し付けたことによって辛うじて成立した幻想であることを、あらためて思い知りました。日米安保条約は必要、でも近くに米軍基地があるのは嫌だ(NIMBY)、遠く離れた沖縄に置いてもらおう、これが戦後および現在のヤマトンチュのスタンスなのですね。この映画から、「ヤマトンチュよ、それでいいのか、恥ずかしくないのか」というウチナンチュの叫びと囁きが聞こえてきます。
 どうすればいいのでしょう。警察と海上保安庁を頤使して基地建設を強行し、解釈改憲によってアメリカの戦争の片棒を担ごうとし、福島の人々を見殺しにし続けている安倍政権を選んでしまい、いまだある程度の支持を与えているヤマトンチュ。絶望している場合ではないのですが、奈落の底への徳俵に足がかかっているのが現状だと思います。安保条約の是非をきっちりと考えて議論をすること、そして沖縄にある米軍基地を本土に移設すること、それが必要なのではないでしょうか。100人の小学生が、登校の時に、75個のランドセルを1人の子どもに背負わせることを、99対1の圧倒的多数で可決する。これが民主主義なのでしょうか。
 必見の映画、ぜひ一人でも多くの方に見ていただきたいと思います。

 今読んでいる『沖縄と米軍基地』(前泊博盛 角川oneテーマ21)という素晴らしい本の中で、元日本政策研究所長のチャルマーズ・ジョンソン氏の、われわれの臓腑を抉るような言葉が紹介されていました。引用します。
 普天間問題で日米関係がぎくしゃくするのはまったく問題ではない。日本政府はどんどん主張して、米国政府をもっと困らせるべきだ。これまで日本は米国に対して何も言わず、従順すぎた。歴史的に沖縄住民は本土の人々からずっと差別され、今も続いている。それは、米軍基地の負担を沖縄に押しつけて済まそうとする日本の政府や国民の態度と無関係ではないのではないか。同じ日本人である沖縄住民が米軍からひどい扱いを受けているのに他の日本人はなぜ立ち上がろうとしないのか、私には理解できない。もし日本国民が結束して米国側に強く主張すれば、米国政府はそれを飲まざるを得ないだろう。日本政府は米国の軍需産業のためではなく、沖縄の住民を守るために主張すべきだ。(p.106)
 ミスター・ジョンソン。それはおそらく、私たちの知的および倫理的怠惰、そして無関心と無力感のゆえです。安倍伍長は、それを燃料にして暴走しているのです。今日もまた…

 もう一つ引用します。
 普天間移設問題では、名護市辺野古への新基地建設に反対する市民・住民らが建設を前提にした国の環境調査を、体を張って阻止しましたが、その際、手を焼いたとはいえ防衛省は反対運動の威圧のために掃海母艦を沖縄に派遣しています。自衛隊が米軍の基地を建設するために、軍事力を自国民に行使する、ついに自衛隊は大砲を自国民に向けるという重大な事態までも沖縄では起きているのです。しかも、女性やお年寄りも含む武器を持たない丸腰の国民に対してです。自衛隊という軍隊は、「何から何を守っているのか」という問いに対する答えが垣間見える出来事です。外国軍隊の基地建設のためには、自国民に対して軍事力を行使する。かつて日本軍に虐殺された経験を持つ沖縄県民です。自衛隊も旧日本軍と変わらぬ体質、軍隊の本質を露呈したとして、この「事件」を、沖縄の新聞は糾弾しました。(p.202~3)

by sabasaba13 | 2015-07-16 06:46 | 映画 | Comments(0)
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