重森三玲の庭編(11):吹屋(14.3)

 次の見学場所はベンガラ館です。申し遅れましたが、ベンガラとは酸化鉄を主成分とする赤色酸化鉄顔料の一般名で、その名称は、最初に産出したインドのベンガル地方に由来するとされています。用途は、塗料、ゴム、製紙、セメント、インキ、陶磁器の釉などの着色、ガラス、金属の研磨などです。江戸中期に全国ではじめてここ吹屋で生産されて以来、昭和中期まで日本で唯一の産地として栄えました。このベンガラ館は、明治の頃の弁柄工場を当時の姿に復元したものです。作業場や水車、さまざまな道具が復元・展示されています。沈殿したベンガラの艶かしい色が印象的でした。
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 そして吹屋の町並みへ。駐車場にタクシーを停めて徒歩での散策となります。まずは古い学校マニア必見・垂涎の物件、旧吹屋小学校を拝見しましょう。1900(明治33)年に落成した木造校舎は、2012(平成24)まで111年間使用されました。残念ながら閉校となり内部の見学もできませんでしたが、その志村喬を髣髴とさせる古武士のような趣には頭を垂れましょう。「勝ったのはわしらではない、子どもたちだ」という呟きが聞こえてきそう。
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 ベンガラ色の外観と赤銅色の石州瓦とで統一された町屋がつらなる町並みを、のんびりと歩きながら堪能しました。観光協会のホームページによると、旦那衆が相談の上で石州(石見・島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて、町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたそうです。
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 公開されている郷土館と旧片山邸を見学。後者には、貴重品であった卵を保存するための涼しい「卵部屋」がありました。これは珍しい。奥にはいくつかの蔵が建てられていますが、その海鼠壁の意匠がなかなか素敵です。解説によると、これは「隠し釘」の「錺金(かざりかね)」というもので、各棟や場所ごとに多種多様のデザインとなっているそうです。焼き杉の壁が素敵な公衆便所で用を済ませて、吹屋とお別れです。
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 タクシーに揺られること四十分ほどで高梁に到着しました。五時間ほどの貸し切りでしたが、町の補助金のおかげで代金は16,060円ですみました。お支払いをして運転手さんに丁重にお礼を言って、紺屋町筋の近くでおろしてもらいました。時間があれば、備中松山城、石火矢町の武家屋敷、小堀遠州の作庭による禅院式枯山水蓬莱庭園「鶴亀の庭」がある頼久寺などを山ノ神に見せてあげたかったのですが、もう時刻は午後五時をまわっています。訪問は断念して、紺屋町筋界隈をぶらつきながら駅へと向かうことにしました。なお私が以前に訪問したときの旅行記がありますので、よろしければどうぞ。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2015-07-17 06:35 | 山陽 | Comments(0)
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