重森三玲の庭編(14):篠山(14.3)

 尼崎で乗り換えて篠山口駅に着いたのが午前11時ごろでした。駅前からバスに15分ほど揺られると町の中心である二階町に到着です。丹波杜氏のふるさと、丹波猿楽として能楽のさかんな地、六古窯(瀬戸焼、常滑焼、越前焼、信楽焼、備前焼)の一つである丹波焼を生んだ地、そして京料理を支えてきた食材(丹波黒豆・丹波栗・松茸・山芋・猪肉)の一大供給地、篠山。鉄道が通らなかったので、城下町らしい武家屋敷や妻入商家の町並みがいまに残る魅力的な町です。なお私は以前に訪れたことがありますが、山ノ神ははじめてです。
 まずは洒落た意匠の「飛び出し娘」と大正ロマン館を撮影。後者は、1923(大正12)年に建てられた町役場を利用した観光拠点で、中にはレストランや売店などがあります。
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 その向かい側にある観光案内所で自転車を借りて地図をもらいました。まずは重森三玲のお庭がある篠山観光ホテル如月庵へと向かいましょう。篠山城の堀が、鏡の如くに木々や家々や山々を映してそれはそれは綺麗です。思わず自転車を停めて写真を撮りまくりました。
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 そして如月庵に到着、まずはこちらで昼食をいただきましょう。
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 名物だという「デカンショうどん」を注文しましたが、豚肉とゴボウ・えのき・白菜などの野菜とうどんを味噌仕立てで煮込んだ饂飩で美味しうございました。他にも「ぼたん鍋」や、シーズンには松茸も食べられます。なおその名称の由来ですが、「デカンショ節」とは、江戸時代から篠山市域で歌われていた「みつ節」が変形したものだそうです。「デカルト・カント・ショーペンハウエル」をもじった学生歌かと思っていましたが、それにはウィキペディアによると次のようなエピソードがあるとのこと。旧篠山藩主の青山家は、明治維新後は学問を奨励し、優秀な学生を東京の寄宿舎にり遊学させていました。彼らは、例年、夏には千葉県の八幡の浜で過ごしていましたが、1898(明治31)年の夏、宿泊先の江戸屋の二階で郷土の盆踊り歌を大声で歌っていました。それをたまたま階下に宿泊していた旧制一高の水泳部員が聞きとめ、たちまち気に入り、歌の指導を受けて東京に戻ってからも歌い続けました。それが多くの学生や若者に愛唱されるようになり、全国に広まったそうです。おしまい。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2015-07-20 08:58 | 近畿 | Comments(0)
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