重森三玲の庭編(18):福知山線(14.3)

 それでは丹波竹田駅へと歩いて戻りましょう。予定通り16:22発の福知山行き普通列車に乗って福知山駅に16:30に到着。ここでUターン、福知山発16:46の特急「こうのとり」に乗って、山ノ神が買った篠山の焼き栗を食べながら尼崎へと向かいます。
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 そう、この路線は福知山線、あの大参事が起きた場所です。ウィキペディアから引用しましょう。2005(平成17)年4月25日午前9時18分ごろ、福知山線塚口駅―尼崎駅間のカーブ区間で、上り快速列車の前5両が脱線し、先頭の2両が線路脇の分譲マンション「エフュージョン尼崎」に激突。死者107名、負傷者562名を出す未曾有の大事故でした。
 以前に乗った時には事故現場を視認できなかったのが、今回は常人を凌駕する動態視力を持つ山ノ神同伴です。車窓から彼女に現場を特定してもらって撮影をしようと、「頼りにしてまっせ」と柳吉のように呟きながらカメラを構えて待機しました。たしか塚口駅と尼崎駅の間でしたね、塚口駅を通過した後に息を呑んで待ち構えていると、列車が大きくカーブしました。「ここ」と山ノ神の一言、一瞬ですが事故現場となったマンションが視界をよぎったのでシャッターを押しました。ぱしゃ。
 事故の原因については、ウィキペディアに以下のような指摘があります。
 国鉄時代から並行する阪急電鉄などの関西私鉄各社との激しい競争にさらされており、その影響からか、民営化後のJR西日本にも競合する私鉄各社への対抗意識が強かったとされて、私鉄各社との競争に打ち勝つことを意識するあまり、スピードアップによる所要時間短縮や運転本数増加など、目前のサービスや利益だけを優先し、安全対策が充分ではなかったと考えられる。

 また同社においては、先述の競争の激しさや、長大路線を抱えている点から、従業員がダイヤの乱れた時における乗客からの苦情の殺到を過度に恐れていたとの指摘もある。

 目標が守られない場合に、乗務員に対する処分として、日勤教育という再教育などの実務に関連したものではなく、懲罰的なものを科していた。具体的には乗務員休憩室や詰所、点呼場所から丸見えの当直室の真ん中に座らされ、事象と関係ない就業規則や経営理念の書き写しや作文・リポートの作成を一日中させられ、トイレに行くのも管理者の許可が必要で、ホームの先端に立たされて発着する乗務員に「おつかれさまです。気をつけてください」などの声掛けを一日中させられたり、敷地内の草むしりやトイレ清掃などを命じるなど、いわゆる「見せしめ」、「晒し者」にさせる事例もあれば、個室に軟禁状態にして管理者が集団で毎日のように恫喝や罵声を浴びせ続けて自殺や鬱に追い込ませた事例もある。それが充分な再発防止の教育としての効果につながらず、かえって乗務員の精神的プレッシャーを増大させていた温床との指摘も受けている。事故の当該運転士も、過去に運転ミスや苦情などで3回の日勤教育を受け、知人や友人に「日勤教育は厳しい研修だ」、「一日中文章を書いていなければならず、トイレに行くにも上の人に断らなければならないので嫌だ」、「日勤教育は社訓みたいなものを丸写しするだけで、こういう事をする意味が分からない」、「給料がカットされ、本当に嫌だ」、「降ろされたらどうしよう」と話していた。さらに、事故直前の伊丹駅での72mのオーバーランの後、車掌にオーバーランの距離を少なく報告するように車内電話で要請したことも明らかになっている。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-07-24 06:33 | 近畿 | Comments(0)
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