追悼 鶴見俊輔

 評論家・哲学者の鶴見俊輔さんが逝去されました。享年93歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。正直、良い読者とは言えず、鶴見さんの本を読んだことはさほどありません。『<民主>と<愛国>』(小熊英二 新曜社)を読んで、氏の知的豊穣さに感銘を受けてぜひ読もうと思いながらも、結局手にしたのは『旅の話』、『思い出袋』(岩波新書)、『戦争が遺したもの』(新曜社)だけでした。でもこれからですね、ぜひ読んでいきたいと思います。
 『戦争が遺したもの』で、小熊英二氏とともに鼎談をされた上野千鶴子氏が、朝日新聞(2015.7.24)に素晴らしい追悼文を寄稿されていたので紹介します。
 鶴見俊輔。リベラルという言葉はこの人のためにある、と思える。どんな主義主張にも拠らず、とことん自分のアタマと自分のコトバで考えぬいた。
 何事かがおきるたびに、鶴見さんならこんなとき、どんなふうにふるまうだろう、と考えずにはいられない人だった。哲学からマンガまで、平易な言葉で論じた。座談の名手だった。
 いつも機嫌よく、忍耐強く、どんな相手にも対等に接した。女・子どもの味方だった。慕い寄るひとたちは絶えなかったが、どんな学派も徒党も組まなかった。
 哲学者・思想家であるだけでなく、希代の編集者にしてオルガナイザーだった。「思想の科学」は媒体である以上に、運動だった。

 「思想の科学」の誇りは「50年間、ただのひとりも除名者を出さなかったことだ」と。社会正義のためのあらゆる運動がわずかな差異を言い立てて互いを排除していくことに、身を以て警鐘を鳴らした。
 リベラル、自分の頭と言葉、平易、機嫌よさと忍耐強さ、対等なつきあい、女・子どもの味方、独立心、そして寛容。これからいろいろなことを考え行動して行く上で、指針としたいと思います。『「国語」の近代史』(安田敏朗 中公新書1875)にも、鶴見さんの言葉が紹介されていたので紹介します。
 米国から輸入された「民主」、「自由」、「デモクラシー」等のお守りが盛に使はれるに至つた。終戦後に簇生した各種文化団体が、その顔ぶれと傾向の如何を問はず、或は之等を誌名に入れ、或は趣意書の中に盛込んだ状況より察すれば、之等は明らかに新時代に即した魔除け言葉として用ひられたのであらう。更に戦前から戦中にかけて侵略を歓迎せるかに見えた評論家達が「民主」、「自由」、「平和」を謳つた事を見ると、彼等がその間の変化に恥しさを感じない所の根拠は、彼等が之等の言葉のお守り的性格を考慮した結果、言葉が変つたとて内容には変りがなくてよいのだといふ認識に達した事にもあるかと判断される。(『思想の科学』創刊号より 1946.5)
 お守り・魔除けとしての言葉。自分の利益のために、あるいは敵対者を攻撃するために使われる、内実のない言葉という意味でしょうか。今でしたらさしずめ「安全保障」とか「抑止力」とか「理解を得る」という言葉ですね。こうしたお守り・魔除けにころっと騙される知的怠惰が、安倍伍長に政権をとらせ、その暴走を後押ししたのだと思います。自分の頭で言葉を紡ぐ力、あるいはお守り・魔除け言葉を見抜く力、道徳教育などよりも、そうした力を若者が身につけられるように援助するのがわれわれの役目だと思います。
 なお文中に"恥しさ"という言葉がありましたが、朝日新聞の「鶴見俊輔さんの語録」に次のような一文が紹介されていました。
 政治にとってもっとも大事なことは恥じらいをいかに堅持するかです。(1997年、「物語を通してみる日本人のこころ」)
 そっくりそのまま熨斗をつけて安倍伍長に進呈します。受け取ってくれないかな。そうそう、『戦争が遺したもの』の中に、安倍伍長に進呈したい言葉があと二つありました。上が鶴見俊輔氏、下が上野千鶴子氏の言葉です。
 大義というような抽象的なものによって、決断をすべきじゃない。人間にはそんなことを判断する能力はないんだ。誰となら、一緒に行動していいか。それをよく見るべきだ。(p.354)

 歴史は、それから学ぼうとする者の前にしか姿をあらわさない。(p.397)

by sabasaba13 | 2015-07-25 07:23 | 鶏肋 | Comments(0)
<< 尾形乾山展 重森三玲の庭編(18):福知山... >>