重森三玲の庭編(23):神戸港震災メモリアルパーク(14.3)

 「希望の船出」という銅像は、「神戸港移民船乗船記念碑」です。解説板によると、1908年4月28日に第1回ブラジル移民船笠戸丸が神戸を出港したそうです。その近くにはモアイ像…と思いきや、「神戸海援隊」というモニュメントでした。
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 作者は…おおっ流政之さん、またお会いしまたね、稚内駅以来ですか。碑文を転記します。
 1863年から65年にかけ 神戸小野浜に勝海舟・坂本龍馬によってつくられた海軍操練所が存在した
 武士、町人、 農民を問わず若者たちが大洋に夢をはせ経済、科学など多くのことを学んだ
 夢をはたせず志なかばで倒れていった若者達を神戸海援隊と名付け、その短い青春の夢をここに刻む
 そして神戸港震災メモリアルパークへ。1995年に起きた阪神・淡路大震災によって被災したメリケン波止場の一部を、そのままの状態で保存するとともに、被害の状況や復興の過程を展示してあります。なお解説の記してある円形は、震災の起きた午前5時46分をあらわしているのですね。
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 あらためてどのような大震災だったのか、銘肝するためにも、スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
阪神・淡路大震災
 1995年(平成7)1月17日午前5時46分、兵庫県を中心として阪神地方に甚大な被害を与えたマグニチュード7.3の巨大地震災害の一般的な呼称。…震源は兵庫県淡路島北部、北緯34度36分、東経135度02分、震源の深さ16キロメートル、淡路島北部から神戸方面に続く活断層のずれによって発生した。この地震により神戸と洲本で震度6を観測したほか、東北地方南部から九州地方の広範囲で有感となった。活断層の走っている一部地域では震度7の激震が起こっていたことが判明した。この地震による被害はきわめて甚大で、自治省(現総務省)消防庁の2000年の発表によれば、死者6432人、負傷者は4万3792人にのぼる。また家屋の被害は全壊10万4906棟、半壊14万4274棟、一部破損26万3702棟となっている。災害はとくに神戸市に集中し、中心部の長田区では2日間延焼して、区全域が灰燼に帰した。木造家屋ばかりでなく耐震設計の鉄筋アパートやビルまで倒壊し、ライフラインの電気、ガス、水道、電話などが壊滅、道路、鉄道などの交通網の寸断、液化現象による人工島ポートアイランドの沈下、日本最大のコンテナバース(岸壁)の崩壊など、都市機能と経済基盤が破壊された。被害は淡路島をはじめ、神戸市、芦屋市、西宮市、尼崎市、宝塚市、大阪府など阪神一円に及んだ。
 わが国におけるこの100年間の地震災害としては1948年(昭和23)の福井地震(死者約3800人)を大きく上回り、1923年(大正12)の関東地震(死者約14万3000人)に次ぐものであった。またこの震災で、近代都市と防災対策に対し、多くの教訓と課題が明らかになった。
 (1)震度情報の重要性が強く認識され、観測、情報の収集・提供方法の充実が求められること、(2)政府等の緊急連絡体制の確保、とくに災害時の初動、危機管理体制の強化が必要であること、(3)内陸に発生する大規模地震の調査研究体制の推進を図ること、(4)各級機関に対して耐震設計基準の再検討を促し、安全基準の普及・対策を図ること、などである。
 完全に破壊された岸壁、傾く街灯、その凄まじさには言葉も出ません。日本がいかに地震の多い国か、あらためて思い入りました。間違いなく大地震は近々起きるでしょうが、寺田寅彦が言ったように、楽観するでもなく悲観するでもなく、きちんと怖がりたいものです。そして天災は避けられないが戦争は避けられます。"安全保障"という言葉がやたらと耳に入りますが、本気で考えているのなら、まず自然災害への対策を最優先すべきだと思います。人びとの不安を煽り、近隣諸国との緊張を無闇に高め、巨額の軍事費を使うひまがあったら、もっと災害対策に力を入れてください、安倍伍長。いま、日本の安全を最も脅かしているのは、天災とあなたです。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2015-08-06 07:50 | 近畿 | Comments(0)
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