重森三玲の庭編(33):ユーハイム(14.3)

 JR元町駅に向かって歩いていると、元町商店街の入口に「ユーハイム」本店があるのを山ノ神が目敏く発見。実は彼女、ユーハイムのミート・パイの大ファンなのです。さっそく神戸牛のミート・パイを2個購入。
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 実はユーハイムにはちょっとした歴史秘話があります。HPの「ユーハイム物語」を参考にして紹介いたしましょう。草思社の創業者のカール・ユーハイムは1886年、南ドイツのカウプ・アム・ラインに生まれて菓子職人となり、1908年にドイツの租借地・中国の青島で菓子・喫茶の店に就職し、やがて店を譲り受けて独立しました。カールの作るバウムクーヘンは「本場ドイツの味」と評判を呼びました。1914年にはエリーゼと結婚、しかし第一次世界大戦が勃発し、青島は日本軍に占領されてしまい、カールは日本に強制連行されてしまいました。広島の収容所に入ったカールでしたが、1919年、広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)でたまたま開かれた似島収容所浮虜製作品展覧会で自慢のバウムクーヘンを出品、これこそ日本で初めて焼かれたバウムクーヘンでした。1920年捕虜生活から解放されたカールは、家族を青島から呼び寄せ、横浜に店を開きました。
 しかし1923年、関東大震災によって店は全焼、命からがら船で逃げ出した夫妻がたどり着いたのは神戸でした。このときふたりの全財産はカールのポケットに入っていた5円札が1枚だけ…。しかし、夫妻はあきらめません。多額の借金をして神戸・三宮に新しい店を開店、港町神戸には当時から多くの外国人が住んでおり、ユーハイムは本場のドイツ菓子を売る店として注目され、順調に業績を伸ばしていきました。やがて第二次世界大戦が勃発。職人たちも次々戦場へ赴きました。神戸も空襲を受け、夫妻も六甲へ疎開しましたが、カールは病に倒れ、日々衰えていきました。1945年夏、広島・長崎に原爆が投下され、終戦を迎える前夜、ついにカールは息を引き取りました。その上、エリーゼも終戦後ドイツに強制送還されてしまったのです。
 しかし戦争から戻った職人たちが1950年神戸・生田神社前に店を開き「ユーハイム」を再開し、 1953年には、6年ぶりにエリーゼを日本に迎えることができたのです。おしまい。
 そうそう、降伏したドイツ兵の収容所の一つ、坂東俘虜収容所が、鳴門市ドイツ館として博物館になっています。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-08-28 07:43 | 近畿 | Comments(0)
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