重森三玲の庭編(34):旧和田岬灯台(14.3)

 「神戸牛 森谷商店」で"森谷のミンチカツ"を発見、さっそく購入してすぐに立ち食いしました。昼食として「イスズベーカリー」でカレーパンとフランスDEあんことバターを購入。実はこの行為が後に悲劇を生むことになります。
c0051620_6451110.jpg

 元町駅からJR神戸線に乗ること10分で須磨に到着です。駅の改札口を出ると、すぐ目の前にデンマークの国旗を掲げた店があったので、気になって近づくと「コペンハーゲン」というホットドッグ屋さんでした。ああ懐かしい、コペンハーゲンは二度行ったことがあるのですが、屋台のソーセージが美味しくて連日そればかり食べていました。食べたい、しかし豚まん+北京ダック+中華バーガー+ミンチカツで胃袋は膨満し、昼食はミート・パイ+カレーパン+フランスDEあんことバターを購入済み。無念、悔しい、と店の前で地団駄を踏んでいると、デンマーク人らしきご主人が出てきて流暢な日本語で「食べていきませんか」と勧めてくれます。事情を話して固辞し、コペンハーゲンのソーセージは美味であったという思い出話をすると、しばらく同地の四方山話に花が咲きました。ビヤーネ・リンボー・ハンセンさん(ご主人のお名前)、必ず再訪してホットドッグをいただきます。ん? するってえとなにかいご隠居さん、スタン・ハンセンはデンマーク系なのかい。
c0051620_646029.jpg

 閑話休題。持参した『歩く地図14 大阪・神戸』を頼りに東の方へ十分ほど歩くと、海浜公園があり、その一角にお目当ての旧和田岬灯台が屹立していました。赤く塗られているのには違和感がありますが、鉄骨造りの武骨な、巧言令色鮮し仁とした趣の灯台です。長い間、船に無償の愛を捧げ続けて、今ここに安住の地を見出した灯台に敬意を表したいと思います。ご苦労様でした。
c0051620_6463144.jpg

 なお解説板を転記しておきます。
 日本の洋式灯台建設の歴史は、1866年幕府が諸外国との間に、主要な港に灯台を作る条約を結んだ時から始まります。翌1867年、幕府と英国大使が兵庫開港(同12月)に備えて結んだ大坂約定で建設を約束した5つの灯台のうちのひとつが和田岬灯台です。
 和田岬灯台は「日本の灯台の父」と呼ばれるイギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導で、明治4年和田岬砲台の横に作られました。当初は木製で8角形の灯台でしたが、明治17年に現在の鉄骨造の灯台に建て替えられました。
 その後、和田岬は埋め立てが進み、昭和38年には廃灯となりましたが、明治時代の洋式灯台建設の歴史を示す貴重な資料でもあり、現在の須磨海岸に移築・保存され、平成10年には国の登録有形文化財となりました。

 本日の一枚です。
c0051620_647498.jpg

by sabasaba13 | 2015-08-29 06:49 | 近畿 | Comments(0)
<< 重森三玲の庭編(35):旧山邑... 重森三玲の庭編(33):ユーハ... >>