福岡・大分編(4):志免鉱業所竪坑櫓・筥崎八幡宮(03.9)

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 本日最大のお目当ては、この建造物。何だと思います? JR酒殿(さかど)駅から歩いて十五分という情報を得ていたので、とりあえず現地に行きましたが、見当たらん! おまけに無人駅、下車客も通行人も民家もなし! ホワイト・アウトしたまま呆然と立ち竦んでしまった… 幸い向かいのホームに巧言令色鮮なそうな男子高校生がいたので尋ねたところ、「あの信号の向こうの歩いてそこそこの距離にあるけん」と教えてくれました。十分ほど歩いて信号に着くと、おおっ、はるか彼方に見えるではないか。歩くにつれて、その物件がだんだん全貌をあらわしてきます。胸の高鳴りと高揚感。周辺の敷地は立入禁止のような気がしないでもないですが、近づかずにはいられない。緩んでいるロープをまたいで膝下に到着。その巨大で超現実的な異様さ、(おそらく)計算されつくした機能性に圧倒されました。実はこれ、ここ志免炭田での採掘作業のために1943年につくられた竪坑櫓(たてこうやぐら)です。廃坑となったのでもう使用されていませんが、あまりに巨大なため壊せないという話。しばらく口をあけたまま見惚れました。残念ながら塀で囲まれていて、内部へは入れません。しかしこれは必見の物件じゃけん。修復・保存した上での内部公開を強く望みます。誰も来ないかな。
 JRで筥崎に戻り、筥崎八幡宮へ。祭神は応神天皇と神宮皇后、日本三大八幡の一つで、蒙古襲来の際に護国の神として尊崇を集めました。ふと拝殿を覗き込むと、祝詞をとなえる神主の脇にジャージを着た数人の中学生がいます。「試合に勝つために神仏に頼るのか、このたわけもん」と口の中で罵倒しつつ、祝詞をよく聴くと「…がこーそこーそーくにをはじ…」。おおっと教育勅語ではぬぅわいか! 巫女さんに聞いたところ、中学校の体験学習で近頃増えているとのこと。拝殿を見上げると「敵国降伏」という額、鳥肌がたちましたね。ぞくっ。ここは鎮西…
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 本日の一枚は、夢(悪夢?)に出てきそうな志免鉱業所竪坑櫓の雄姿です。
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by sabasaba13 | 2005-08-11 07:45 | 九州 | Comments(11)
Commented by JUN at 2005-09-02 11:20 x
昭和発展の輝ける産物も寂しげです。臼杵の仁王座や国東めぐり 大分もいいところが一杯ですね 箱崎宮は娘が結婚式を挙げた場所でもあり
これもご縁ですかね これかも素晴らしい季節の一こまと 残しておきたい一こま楽しみにお待ちしております 小泉さん 壊すのは簡単 守り残しながら時代に相応させ再生させることはもっと重労働なのに 小泉さん たぶん怠け者なんだ これグチです

Commented by sabasaba13 at 2005-09-02 19:16
 こんばんは。残すべきものを残す努力と、残してはいけないものを壊す勇気と、それを見分ける叡智を身につけたく思います。これからも残すべきもの/残してはいけないものを求めて、あちこちをさまよいます。
 小泉氏は、おそらくならず者ですね。これいやみです。
Commented by r at 2006-01-30 01:30 x
こんばんは。TBありがとうございました。
志免鉱業所竪坑櫓は一度見るとトラウマになります・・。
Commented by sabasaba13 at 2006-01-30 19:21
 こんばんは。全くもって同感です。ぜひ保存してほしいですね。しかしF.L.ライト設計の帝国ホテルを取り壊すブルートな方々もいたので、予断は許せませんが。
Commented by ゆず at 2006-06-25 11:19 x
お早う御座います。
この建物私もよく見ます。昨日も見ましたw
保存して欲しいという思いも勿論私にはありますが、不気味という思いも心の端っこにあったりもします。
ココでは何人もの人々がお亡くなりになったそうです・・。
でも、やっぱりコレは残さないといけない物だと私は思います。
中学生がこんなことを言うのもなんですがね・・・;
Commented by sabasaba13 at 2006-06-25 18:05
 こんばんは。ゆずさんはこのあたりにお住みなのですね。何人もの方が亡くなられたというのは、米軍による空襲のせいなのでしょうか。興味を引かれます。たしかに不気味かもしれませんが、歴史の証言者として、そして存在感のあるランドマークとして、保存してほしいと念願します。なお、言いたいことは、中学生であろうがおじさんであろうが関係なく言ったほうがいいと思います。“もう一回言っておけばよかったと後悔しないように、何千回も言われ尽くしたようなことでももう一度言わねばならない。”(ベルトルト・ブレヒト)
Commented by ナパームです。 at 2007-03-20 21:33 x
いや、あの・・・空襲って・・・
この建造物は名前のとおり炭坑から掘り出された石炭を運び出すための建物です。
志免に限らず炭鉱では落盤、出水、粉塵・水蒸気爆発による大規模な事故がつき物でした。
庄内の山野炭鉱などのように一度に400人以上の方がなくなった場所もあります。
一回一回は小さい事故でも延べ人数では1000人を超える死者を出した炭鉱もあります。
北海道や大分、長崎などと一緒に石炭で戦前から戦後まで日本の経済を支えてきた遺構です。
ちなみに、写真で言うところの右側にもこの櫓より大きな遺構があります。
ぜひそちらも紹介してください。
Commented by sabasaba13 at 2007-03-21 10:59
 こんにちは。おっしゃるとおりですね、迂闊にも炭鉱事故犠牲者の方に思いを馳せることができませんでした。反省しております。
 なお右手にある大きな遺構には全く気付きませんでした。もし詳細についてご存知でしたら、ぜひご教示してください。それでは。
Commented by ナパームです。 at 2007-03-21 12:15 x
この建物の隣に草や低い木しか生えてない山、というか急峻な丘があるんですが、これは掘り出した石炭を選別したときに出る石(ボタと呼びます)、これを捨てていくうちに高く積み上がってできた人工の山なんです。
地元ではボタ山と呼んでいます。
ボタ山は炭坑があるところには必ずできていて、志免以外にかなりの数がありました。
ただ、単なる石ころを積み上げただけなので、いつ崩れるか分からず大変危険であるという理由でほとんどが平地に戻されています。
現在では飯塚市の鶴三緒と平恒に跨る地域に残っているボタ山が有名になっていますが、私が知っているものに限ると筑豊の山野炭坑も半分崩されたボタ山が残っており、平山炭坑は完全に平地ではあるもののボタ山があった痕跡が残っています。リンク先は私のブログです。最上段の右端は前述の飯塚のボタ山で、同じく最上段真ん中はその炭坑にあった櫓(志免と違い斜坑なので構造も大きさも違う)です。
Commented by sabasaba13 at 2007-03-22 19:02
 こんばんは。ボタ山があったとは気づきませんでした。つねづね間近で見てみたいと念願していたのですが、惜しいことをしました。貴ブログを拝見いたしましたが、飯塚のボタ山はたいへんな存在感ですね。炭鉱の歴史を無言で語り続けるその姿には、畏敬の念さえおぼえます。
Commented by ラファエルロング at 2021-11-02 15:07 x
此の後に産業考古学会の推薦産業遺産の認定,経済産業省の近代化遺産の認定,文化庁の登録有形文化財の登録,文部科学省の重要文化財の指定が行われ,修繕され保存しております.篠栗,粕屋地域での1番の観光名所だそうです.
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