『平和のための名言集』

 昨今、言葉がどんどん、軽く薄くなっているのが気がかりです。例えば安倍伍長がよく口にする「積極的平和」という言葉。本来は、平和学者のヨハン・ガルトゥングが唱えた言葉で、平和とは、戦争がない状態(=消極的平和)だけでなく、国際および国内の社会構造に起因する貧困・飢餓・抑圧・疎外・差別(=構造的暴力)がない状態をさす、崇高な概念です。(『構造的暴力と平和』p.231 中央大学出版部) しかしどう見ても、安倍伍長言うところの「積極的平和」の内実は、アメリカの権益を増大させる(=「平和」)ための戦争の片棒を積極的にかつぐ、というものでしょう。月とスッポン、提灯と釣り鐘、雪と墨、烏と鷺、スワローズとジャイアンツ、その志の違いには目も眩むほどの懸隔があります。ま、アメリカに留学した時に、寂しさのあまり家族や友人に電話をかけまくり国際電話代が月に10万円にもなったという御仁ですから、むべなるかな。(『がちナショナリズム』p.148 香山リカ ちくま新書) でも"貧困・飢餓・抑圧・疎外・差別"をまきちらし、放任する張本人から「積極的平和」とい言葉を聞かされたら、ガルトゥング氏は、たまげた、駒下駄、日和下駄、ブリキに狸に蓄音器でしょうね。どう思うでしょう。こういう厚顔無恥な御仁を首相にしてしまった国民の一人として汗顔の至りです。そしてきちんと検証もせずに、伍長の言葉を垂れ流すメディアの低劣さにも目を覆いたくなります。
 思わずキーが滑ってしまいましたが、そんなご時世だからこそ、気骨のある言葉、ぶれない言葉、批判精神にあふれた言葉を血肉にしたいと常日頃思っています。本を読んでいるときにそんな言葉に出会うと、晩秋の栗鼠のように、せっせせっせとハードディスクに保存しております。名言集的な本を買ってしまえば話は早いのかもしれませんが、読書に関してだけはそういう安直なことはしないという変な矜持があります。しかし最近出会えた『平和のための名言集』(大和書房)は話が別。まず編者の早乙女勝元氏は、12歳で東京大空襲を経験し、それをもとにルポルタージュの傑作『東京大空襲』(岩波新書)を著した作家です。戦争を憎み平和を希求する氏が蒐集された、平和に関する365の名言・金言を紹介したのが本書。その該博な知識に驚嘆するとともに、直截的に反戦平和の思いを述べた言葉だけではなく、構造的暴力を批判しそれに抗う言葉も多々ふくまれていることです。例えば、鬼福祉や教育への抑圧に関して…
 二度と生きて福祉を受けたくない。あなたが死ねと言ったから死にます。(抗議する老婦人 『豊かさとは何か』) (p.305)

 それぞれの土から 陽炎のように ふっと匂いたった旋律がある 愛されてひとびとに 永くうたいつがれてきた民謡がある なぜ国歌など ものものしくうたう必要がありましょう おおかたは侵略の血でよごれ 腹黒の過去を隠しながら 口を拭って起立して 直立不動でうたわなければならないのか 聞かなければならないのか 私は立たない 坐っています (茨木のり子 『鄙ぶりの唄』) (p.302)
 そのためにたいへんな広がりをもった内容となっています。これほどの豊かな、そして強靭な思想を言葉にした人たちが、かつていたし、今もいるし、これからもいるであろうことは、萎えそうな心をキックしてくれる恰好のカンフル剤となってくれます。できうればその炬火を受け継ぎ、その一翼を担いたいものです。贅言はここまで。いくつか私を捉えた言葉をいくつか紹介します。
 戦争とは、たえまなく血が流れ出ることだ。そのながれた血が、むなしく 地にすひこまれてしまふことだ。…瓦を作るように型にはめて、人間を戦力としておくりだすことだ。…十九の子供も 五十の父親も 一つの命令に服従して、左をむき 右をむき 一つの標的にひき金をひく。敵の父親や 敵の子供については 考へる必要は毛頭ない。それは、敵なのだから。(『戦争』 金子光晴) (p.22)

 戦いは戦いを生み、復讐は復讐を生み、好意は好意を生み、善行は善行を招く。(エラスムス 『平和の訴え』) (p.60)

 政策遂行の手段としての戦争を否定し、軍隊を保持しない日本は、もし、一国の安全ということがあるとすれば、全世界で最も安全な国です。日本を危険にさらすものは、無軍備よりはむしろ在日アメリカ軍基地です。それは日本を攻撃目標に変えてしまうからです。(セント・ジェルジ 『狂った猿』) (p.96)

 ナショナリストは、味方の残虐行為となると非難しないだけでなく、耳にも入らないという、すばらしい才能をもっている。(ジョージ・オーウェル) (p.186)

 元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、…収容所生活のかくも困難な、外的状況を苦痛ではあるにせよ彼等の精神生活にとって、それほど破壊的には体験しなかった。なぜならば彼等にとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。(ヴィクトール・フランクル 『夜と霧』) (p.187)

 お望みならば、私を売国奴と呼んでくださってもけっこうです。決しておそれません。…他国を侵略するばかりか、罪のない難民の上にこの世の地獄を平然と作りだしている人たちと同じ国民に属していることのほうを、私はより大きい恥としています。日中両国民の間には、いかなる基本的な敵対感情も存在していません。(長谷川テル) (p.195)

 賢さを伴わない勇気は乱暴であり、勇気を伴わない賢さなどはくそにもなりません! 世界の歴史には、おろかな連中が勇気をもち、賢い人たちが臆病だったような時代がいくらもあります。(エーリヒ・ケストナー) (p.259)

 「国家のため」という圧力に押しつぶされて、国家の悪を見逃してはならない。いやしくも、正義人道に反す方向に行きそうな場合は、国家にだろうが、親にだろうが、夫にだろうが、敢然反対して、これを正道に戻すような人間をつくらねばならない。(尾崎行雄 『民主政治読本』) (p.285)

 「戦争協力が国際貢献」とは言語道断である。(中村哲) (p.286)

 暴君の臣民は、ひたすら暴政が他人の頭上に振るわれることを願い、自らはそれを見物してよろこび、"残酷"を娯楽とし、"他人の苦しみ"を賞玩物とし、慰安する。(魯迅 『随感録』) (p.338)

 この新しい一千年期を迎えるにあたってお互いぜひとも日本国憲法によって導かれていこうではないか。世界平和と公正とを目指すこの73語から成る金言は、第2次世界大戦の業火と大量殺戮の中から不死鳥のごとくによみがえったものなのである。(チャールズ・M・オーバビー) (p.371)
 なお、安倍伍長と東京電力首脳陣のみなさまに、熨斗をつけて進呈した言葉がありますので、よろしければご笑納ください。
 戦争だ。ウソが始まる。(ヘティ・バウアーの父) (p.336)

 戦争が 廊下の奥に 立つてゐた (渡辺白泉) (p.342)

 銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。…上から順々に四二人死んでもらう。奥さんにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか。(石牟礼道子 『苦海浄土』) (p.209)
 もう一つこの本が素晴らしいのは、良質のブックガイドにもなっていることです。まあまあ本は読んでいる方かなと自負しておりますが、未読の面白そうな本をたくさん教示していただきました。これもいくつか紹介しましょう。
 『本当の戦争』(クリス・ヘッジズ 集英社)、『金子光晴』(ほるぷ出版)、『戦後を語る』(岩波新書)、『母は枯葉剤を浴びた』(中村梧郎 新潮文庫)、『半生の記』(松本清張 新潮文庫)、『信州異端の近代女性たち』(東栄蔵 信濃毎日新聞社)、『戦争で死ぬ、ということ』(島本慈子 岩波新書)、『狂ったサル』(セント・ジェルジ サイマル出版会)、『戦争』(大岡昇平 岩波現代文庫)、『日本とアジア』(竹内好 ちくま学芸文庫)、『独裁者の学校』(エーリヒ・ケストナー みすず書房)、『偉大なる道』(アグネス・スメドレー 岩波文庫)、『思想は武器に勝る』(フィデル・カストロ 現代書館)、『村が消えた』(本田靖春 講談社文庫)、『豊かさとは何か』(暉峻淑子 岩波新書)、『近代日本の戦争』(色川大吉 岩波ジュニア新書)、『魯迅と日本人』(伊藤虎丸 朝日選書)、『歩く影たち』(開高健 新潮文庫)、『酸っぱい葡萄』(中野好夫 みすず書房)、『与太郎戦記』(春風亭柳昇 ちくま文庫)、『上野英信集』(影書房)、『ボローニャ紀行』(井上ひさし 文藝春秋社)、『私のおせっかい談義』(沢村貞子 光文社文庫)、『絞首台からのレポート』(ユリウス・フーチク 岩波文庫)。
 平野レミのように「おもしろそうでしょ、でしょ、でしょ」とつきまといたくなりますが、星一徹のように卓袱台を蹴り倒したくなることもあります。(星氏のために弁護すると、実際には一回しかしていないそうです。一回やれば充分ですが) そのほとんどが絶版なのですね、これが。いやはや。知的営為に無知・無関心な方々、スマートフォンに身も心も捧げた方が増えて、出版業界の台所事情が苦しいのはわかりますが、なんとか頑張っていただきたいと思います。薄給の身ですが、一日不読書口中生荊棘(安重根)、身銭を切って応援する所存です。
by sabasaba13 | 2016-01-13 06:12 | | Comments(0)
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