マーラー交響曲第四番

c0051620_6304346.jpg 小笠原伯爵邸を出て、若松河田駅から都営12号線(筆者注:あの極右・レイシストの御仁…以下略)に乗って新宿西口駅で下車し、てくてくと歩いてJR新宿駅へ。山手線に乗り換えて渋谷駅に到着。ああ相も変わらず五月蠅い街だなあ、わき目もふらずに一路Bunkamuraのオーチャードホールに向いました。以前にも書きましたが、山田和樹という若い指揮者が、日本フィルハーモニーとともに三年をかけてマーラーの交響曲九作を年代順に振るという「マーラー・ツィクルス」第二期の一回目、交響曲第4番の演奏会です。なおこのツィクルスでは、山田和樹氏の強い希望によりすべて武満徹の曲と組み合わされています。今回は、「系図 ~若い人たちのための音楽詩~ (語りとオーケストラのための)」という曲でした。谷川俊太郎の詩集『はだか』から武満徹が選んだ六編の詩を女優・モデルの上白石萌歌が語り、オーケストラが伴奏をつけるという構成です。彼女の上手な語りと、優しい曲調と、満腹感のため…関係者各位申し訳ない、寝てしまいました。言い訳にもなりませんが、ほんとうに気持ち良かった。
 20分の休憩をはさんで、いよいよマーラー作曲の交響曲第4番です。指揮者の山田和樹氏は、交響曲第1~3番を第一期「創生」、第4~6番を第二期「深化」、第7~9番を第三期「昇華」と捉えています。第二期「深化」については、パンフレットの中でこう書かれています。
 20世紀初頭、40歳代のマーラーは、指揮活動に作曲活動に邁進していくことになります。アルマとの結婚、二人の女の子の誕生とプライベートも充実を見せる中で、マーラーの交響曲は「深化」していくことになりました。パロディ的要素の強い第4番、結婚という大きな節目に書かれた第5番、自身のその後の運命を予感させるような第6番。「深化」と題した第2期は、鈴の音から始まり、ハンマーの音で終わることになります。
プログラム前半でお送りしる武満徹作品には、ナレーション、ヴィオラ、ヴァイオリンによる協奏的作品を配置しました。
 二人の作曲家の見ていたであろう風景を追いながら、自分自身も「深化」していけたらと思います。
 なおマーラーの交響曲に関しては、『マーラーの交響曲』(金聖響+玉木正之 講談社現代新書)という優れた概説書がありますが、その中で金聖響氏は次のような区分をされています。
1.オペラや交響詩ではなく「交響曲作家」として出発(一番)
2.ベートーヴェン『第九交響曲』への強い意識と、それからの離脱(声楽付きの二~四番)
3.新しい交響曲に対する模索と実験(五~七番)
4.過去の交響曲の集大成(声楽付きの八番)
   (3と4で「アルマ交響曲群」という呼び方も可能?)
5.新しい交響曲(音楽)の始まり(大地の歌、九番、クック版十番) (p.134)
 お二人の分析の当否は浅学故分かりませんが、第四番がマーラーの過渡期を示す作品であるという点は共通しているようです。そしてパロディ的な曲だという点でも。パロディ? ベートーヴェンの? まさかね。でもこれまでCDで何度も聴いてきましたが、親しみやすいけれどどことなく変な交響曲だなという気はしていました。第1楽章の混乱、第2楽章のおどけたヴァイオリン、そして第1~3番のような壮大な盛り上がりをみせず、愉悦と狂騒を繰り返しながら不気味な響きとともに静かに終わる終楽章。
演奏会の前に前掲書を再読し、ホールでプログラムを読み、そのパロディという意味が、そしてこの曲の変異さがすこしわかったような気がしました。まず曲の冒頭でシャンシャンシャンシャンと鳴り響く鈴の音。金氏はこう言われます。
…この鈴の音を、ポスト・モダンの哲学者でマーラー研究の音楽学者でもあるテオドール・アドルノは、「道化の鈴」と呼びました。「道化の鈴」とは道化師の帽子にいくつかぶら下がっている鈴のことで、これが冒頭に鳴らされるのは、「これから君たちが聴くものは、すべて本当のことではないのだよ」と、物語が始まるときの口上が述べられていることになります。(p.118~9)
 第2楽章のヴァイオリン独奏には、マーラー自身が「死神(Freund Hein)は演奏する」と書き入れたことがあり、また「フィドルのように」と指示しているそうです。後者は、踊りの伴奏というニュアンスですね。さらに独奏ヴァイオリンは通常より二度高く調弦してあります。つまり、調子外れの死神の踊り… 第3楽章は美しく安らかな音楽、ほんっとにマーラーの緩徐楽章はすばらしいですね。そして「完全に死に絶えるように」という指示とともに消えるように終わります。つまり第4楽章は死後の世界、そこでソプラノによって歌われるのが「天上の生活」です。プログラムより、前半部分を転記します。
天の喜びを 味わうわれら 憂き世のことは 忘れるに限る 世の喧騒は 天には 届かぬ 安らかな静けさの中 暮らすのだ その生活は 天使のようだが まったく 愉快きわまりない 踊り 跳びまわり 飛んでは 歌う 天のペテロ様が それを見る

ヨハネ様は 仔羊を放し 肉屋のヘロデは 虎視眈眈 われらは この慈悲深き 穢れなき かわいい仔羊を 死へと追いやるのだ ルカ様は 少しもためらわず 雄牛を屠る 天の酒蔵にある酒は 鐚一文も かからない パンを焼くのは 天使たち
 快楽と安逸に満ちた天上の暮らし。その一方で、イエス・キリストに洗礼を施したヨハネは、仔羊(イエス)を放逐し、嬰児殺しのヘロデ王が虎視眈眈と彼を狙う。キリスト教への冒?とも受け取れます。なお金氏によると、マーラーは1897年にウィーン宮廷歌劇場の常任指揮者になりますが、そのためにユダヤ教を棄て、ローマ・カトリックに改宗しています。そうしないと反ユダヤの空気が強いウィーンでは高い地位は望めなかったのですね。交響曲第4番の作曲時期は1899~1900年ですから、そうしたことへの鬱屈や苛立ちを感じていたのかもしれません。また世紀末ウィーンのブルジョア社会に対する反発を持った可能性もありますね。キリスト教とブルジョア社会のパロディ。しかし突然鳴渡る鈴の音と狂騒の響き、「嘘だよ」「冗談だよ」と嘲笑うかのように。そして暗鬱で不気味な和音とともに曲は静かに終わります。楽譜には、他に例はないのですが「交響曲はおしまい(Ende der Symphonie)」と記されているそうです。
 良いか悪いかはわかりませんが、今回は事前学習をした上で鑑賞にのぞみました。そうしてみると、この一筋縄ではいかない交響曲を、山田和樹氏も日フィルもみごとに演奏してくれました。美しく、安らかに、剽軽に、奇妙に、騒々しく。そして時には微笑み、時には嘲笑し、時には罵倒し、そしてからかってくれました。ブラービ。
 次回の交響曲第5番も楽しみにしています。
by sabasaba13 | 2016-03-02 06:31 | 音楽 | Comments(0)
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