伊勢・美濃編(11):丸山千枚田(14.9)

 タクシーに戻ると、運転手さんが、千枚田展望所があると教えてくれました。なんでも、吉野方面へ向かう通り峠の途中にあるそうで、健脚なら20分ほどでのぼれるとのこと。ようがす、行きましょう。車に乗ってすこし戻り、「熊野古道 通り峠」という標識のあるところで下ろしてもらい、しばし待ってもらうことにしました。石畳の山道をのぼっていくと、やがて木の根道となります。そして通り峠と展望所の分岐点に到着、ここから木の階段をえっさほいさと170段のぼります。楽ではありませんがそれほどきつくはない道のりで、二十分ほどで展望所に着きました。眼下に広がる千枚田を一望できる、見事なビューポイントでした。
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 ここにあった解説板を転記しておきます。
 一目千枚といわれている丸山千枚田。
 丸山地区の人たちが一粒でも多く収穫したいとの思いで開墾し、今から約400年以上前の慶長6年(1601年)には既にその数は2240枚になっていました。長い年月と多くの人たちの汗の結晶が目の前に広がる大小の千枚田です。
 この丸山千枚田は、昭和40年代半ばまで維持されてし(ママ)ましたが、その後の稲作転換政策や、過疎化・高齢化の進行にともない、耕作放棄面積が増え、平成初期には530枚(4.6ha)まで減少してしまいました。
 荒廃していく丸山千枚田を憂いだ(ママ)丸山区の住民が「先祖から受け継いだ貴重な資源である棚田を復元し、地域の景観・伝統等を将来に向けて伝承していきたい」という熱意から丸山千枚田保存会を結成しました。行政からの支援を受ながら(ママ)保存会が中心となって復田運動が始まり、5年間で810枚の田を復田し、現在の1340枚となりました。
 ベンチがあったので座って一休み、水を飲み紫煙をくゆらしながら解説にあった言葉を反芻しふと考えてしまいました。「先祖から受け継いだ貴重な資源」「将来に向けて伝承していきたい」 これはこの棚田だけでなく、日本の国土すべてにあてはまる言葉でしょう。過去の人びとから受け継いだ自然環境を、できうればより良い状態にし、最低でも現状のまま、未来の人びとに受け渡す。それが品格・品性というものではないでしょうか。しかし日本の現状を見るにつけても、その品性の下劣さには目を覆いたくなります。核廃棄物を将来の世代に押しつけながら核発電所を乱立し、事故を起こしてもきちんと原因を解明せず誰も責任をとらず、福島を中心に多くの地域が放射能で汚染されているのに住民に対するまともな対応策をとらず、事故をできるだけ過小評価し再稼動に突っ走る。沖縄では、美しい自然を破壊して必要のない辺野古新基地建設を強行しようとしています。自民党・公明党・官僚・財界・学界・メディアの皆々様の頭の中には、「今だけ・金だけ・自分だけ・地位だけ」という言葉が永久運動のようにぐるぐると回っているのでしょう。まるで未来の人びとと、勝率100%の戦争をしているかのようです。"わが亡きあとに洪水はきたれ"ということですかね。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-23 06:37 | 近畿 | Comments(0)
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