伊勢・美濃編(20):神島(14.9)

 監的哨からふたたび森の中へ、長い階段を十五分ほどおりていくと、ニワの浜へ着きました。背後に魁偉なカルスト地形を抱いた小さな砂浜です。
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 『潮騒』にはこう描かれています。
 歌島の海女は六月七月にもっとも働らいた。根拠地は弁天岬の東側のニワの浜である。
 その日も入梅前の、すでに初夏とはいえない烈しい日ざかりに浜に、焚火が焚かれ、煙が南風につれて王子の古墳のほうまで流れている。ニワの浜は小さな入江を抱き、入江はまっすぐに太平洋に臨んでいる。沖には夏雲が聳え立っている。
 小さな入江は、その名の通り庭園の結構をもっていた。浜をめぐる石灰石の多くの岩が、西部劇ごっこをする子供たちが岩に身を隠してピストルを発射するために、いかにも恰好な布置を整え、しかもその表面は滑らかで、ところどころにあいた小指ほどの穴は蟹や浜虫の棲家になっていた。岩に囲まれた砂地はまっ白で、海に面して左方の崖の上には、花ざかりの浜木綿が凋落期の寝乱れたような花ではなく、官能的な葱のような白さのしたたかな花弁を、紺碧の空へふりかざしていた。
 焚火のまわりは、午休みの談笑にさわがしかった。砂はまだ蹠(あしうら)を灼くほどではなく、水は冷たかったが、それでも水から上って来て、あわてて綿入れを着て火に当らねばならぬほどでもなかった。みんなは声高に笑いながら、胸を張って誇らしげに自分の乳房を見せあっていた。なかに両掌で乳房をもちあげるようにしている者がある。
「いかん、いかん。手は下ろさないかん。手でもったら、いくらでもごまかせるよって」
「手で持ってもどうにもごまかせれん乳房(ちち)してて、何言うのや」
 みんなが笑った。乳房の形を競い合っているのである。(p.140~1)
 いい場面ですね。この文章のすぐ前に、"仕事と娯(たの)しみとが、渾然と一体になったような調子"という一文がありますが、目に浮かぶようです。大企業と自民党しか利さない経済成長路線などさっさと見切りをつけて、仕事と楽しみが渾然と一体になるような社会をつくりたいものです。それはさておき、この場面の後に続く、初江の乳房の描写が圧巻。
 薔薇いろの蕾をもちあげている小高い一双の丘のあいだには、よく日に灼けた、しかも肌の繊細さと滑らかさと一脈の冷たさを失わない、早春の気を漂わせた谷間があった。四肢のととのった発育と歩を合わせて、乳房の育ちも決して遅れをとってはいなかった。が、まだいくばくの固みを帯びたそのふくらみは、今や覚めぎわの眠りにいて、ほんの羽毛の一触、ほんの微風の愛撫で、目をさましそうに見えるのである。(p.143)
 いやあ、まいった。新治への恋慕によって目覚めはじめた少女の体を見事に活写しています。三島由紀夫の筆の冴えには脱帽です。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-01 06:34 | 近畿 | Comments(0)
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