伊勢・美濃編(22):菅島灯台(14.9)

 そして11:35、定期船に乗って菅島へと向かいます。神島よ、さらば。あいかわらず穏やかな海を船は快調に航行し、12:00に菅島漁港に着岸。
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 お目当ては菅島灯台ですが、他に見どころはあるのでしょうか。港にあった観光の看板を見ると、監的哨跡、役の行者さん石碑、第一慰霊碑、第二慰霊碑、紅つげ群生、大山山頂、水道タンク、菅島唯一の田んぼ、新幹線の敷き石をとった採石場か… ま、いいか、灯台だけにしましょう。なお慰霊碑が気になったので今調べてみると、昭和58年4月19日、航空自衛隊のC-1・09号機とC-1・15号機が菅島の大山山腹に激突して亡くなられた自衛隊員14名の慰霊碑だそうです。合掌。
 それでは灯台をめざして歩きましょう。まずは海女さんの顔はめ看板を撮影。高台のところに重厚な塔が併設されている校舎らしき物件があったので撮影しておきましたが、今にして思えば菅島灯台を模したものでした。カエルの交通安全足型ははじめて見るものです。金属製パイプにたくさんの洗濯ばさみがぶら下がっている施設は、この島の特産であるワカメを干すためのものですね。
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 港から、堤防に沿って海の見える道をしばらく行くと、その後は木々に囲まれて眺望のきかない道を延々と歩きます。生活道路ではないようで、途中で誰ひとりとも出会わず黙々と歩いていくと、港から五十分ほどでやっと菅島灯台に辿り着きました。かすかに聞こえる潮騒の中、寡黙に屹立する重厚な立ち姿は、廃墟となった古城を思わせます。ガブリエル・ガルシア・マルケスの作に『百年の孤独』という小説がありますが、140年以上もこうして孤塁を守りながら海を照らし続けているのですね。感無量。
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 そばにあった解説を転記しておきます。
 この付近の海は、江戸時代から廻船の重要な航路であったが、数多くの岩礁があり、遭難する船が絶えませんでした。
 そのため、この地には早くから「かがり火」が設けられてきました。
 この「かがり火」が現在の菅島灯台の前身で、我国灯台の父と言われる英人リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導により建設されました。
 明治六年七月一日に点灯し、洋式灯台としては最も初期のもので、工事用のレンガ作りから始められました。
 この灯台はレンガ造りとしては、我国最古のもので、当時の職員宿舎は現在重要文化財として、犬山の「明治村」に移築保存されております。
 最終日に「明治村」を訪れる予定ですので、職員官舎に会うのが楽しみです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-06 06:46 | 近畿 | Comments(0)
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