伊勢・美濃編(23):菅島灯台(14.9)

 ブラントンについては拙ブログで何度もふれてきましたが、労を厭わず(といってもコピー&ペーストですが)またくりかえしましょう。ブラントンは、日本の近代化を助力し、そして何よりも洋式灯台についてのノウハウを伝授してくれた灯台マニアにとっては足を向けては寝られない恩人です。スーパーニッポニカ(小学館)からブラントンのプロフィールを引用しておきます。
Richard Henry Brunton (1841―1901) イギリスの技術者、幕末・明治初期のお雇い外国人技術者。スコットランドのアバディーンシャーに生まれる。父は船長であった。私立学校卒業後、鉄道工事の見習技師となり各地の工事に従事した。その後、徳川幕府の依頼を受けたスティーブンソン兄弟の斡旋で1868年(慶応4)来日し、本格的な洋式灯台の建設に携わった。さらに新時代の工学知識と西欧技術を多方面からの依頼に応じて発揮し、鉄道建設の必要を建言のうえ、まず東京―横浜間の鉄道敷設を説いた。また、横浜にあった鉄の橋の吉田橋の架設や横浜居留地の公園計画、下水道敷設などを行った。横浜の都市づくりに多くの提案を残し、76年(明治9)帰国した。
 なおブラントン設計の灯台は15基現存しており、これまでに樫野崎江埼角島犬吠崎御前崎尻屋崎友ヶ島旧和田岬灯台、そしてここ菅島でその姿を見てきました。残るは神子元島、六連島、鍋島、部埼、釣島、金華山、ぜひとも全てを踏破してみたいものです。

 なお最近知ったのですが、ブラントンの見聞録が『お雇い外人の見た近代日本』(講談社学術文庫751)として刊行されています。残念ながら絶版だったので、「日本の古本屋」を通して購入しました。一読、彼のさまざまな労苦に想いを馳せました。その言を紹介しましょう。
 私の上司と私自身の意志の疎通は長期の抗争の性質を帯び、双方に得点と失点を重ねながら続いた。工部省の長官(工部卿伊藤博文)は非常に開明的な人物で私に好意を持っていたお蔭で、結局私は多数の灯台を建設し、大過なく灯台の維持管理の良きシステムを組織することができた。しかしこの成功は熾烈な抗争の累積の上に達成されたものであった。(p.190)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-07 06:31 | 近畿 | Comments(0)
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