伊勢・美濃編(31):深野のだんだん田(14.9)

 そして三十分ほど歩くと、深野のだんだん田に着きました。いやあこれは凄い、大小さまざまな石を精緻に積み上げた石垣が、幾重にも幾重にも屏風のように連なっています。まるで、野外に展示されたモダン・アートのようです。これははるばる来た甲斐があったというもの、眼福です。解説板が二つあったので転記しておきます。
石の芸術 「深野だんだん田」
深野だんだん田は標高820mの白猪山南麓に位置し、室町時代に北畠氏の重要な拠点であったこの地区は、白猪山の西に「のろし場」があり、見張りに詰めている侍たちの食料確保のため棚田が開墾されたと伝えられています。もともと深野地区は耕地に恵まれず、古くから木地・蚕・和紙等で生計を立てていたことから、この棚田は特に貴重でした。

石の芸術 深野棚田
 飯南町の深野地区は、優れた松阪牛を育てる肥育農家がたくさんあることと、古くから「深野和紙」と呼ばれる和紙の生産で知られています。
 ここ棚田は、堀坂山・局ケ岳とともに伊勢の三峰と呼ばれてきた白猪山南側の急斜面に開けただんだん田で、室町時代中期から江戸時代初期にかけて開拓されたと言われています。
 城塞を思わせるように幾重にも積まれた自然石が織り成す風景は、まさに石の芸術です。先人の知恵と技術・努力には想像を絶えするもので(ママ)山村の歴史を物語る貴重な文化遺産です。
〈概要〉
       ●石垣の段数/約120段
       ●延長/およそ120キロメートル
       ●石垣の総面積/約135,000平方メートル
       ●積み上げられた石の数/約3,010,000個
 それにしても、何故これほどの石垣を築いたのでしょうか。多雨による棚田の崩壊を防ぐため、手ごろな石を産出した、腕のいい石工集団がいた、などが考えられます。いずれにせよ、村人たちの気の遠くなるような作業の賜物ですね。ただその艱難辛苦を支えたのは、間違いなく末来の世代への配慮、子孫たちがこの村で未来永劫幸せに暮らせるようにとの思いだと考えます。未来への世代に棚田を残した人たちと、放射性廃棄物を残した人たち。その志の違いは、月とスッポン、釣鐘と提灯、雲と泥、鯨と鰯、雪と墨、マハトマ・ガンディーと安倍伍長です。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-16 06:40 | 近畿 | Comments(0)
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