伊勢・美濃編(40):美濃市(14.9)

 岡専旅館のうだつは、装飾にあふれた破風瓦と豪華な懸魚が見事です。なお近くには馬つなぎ石がありました。
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 多くの土蔵を残す広大な屋敷構えの須田家は、かつて大地主でしたが、敗戦後の農地解放で多くの農地を失ったそうです。解説にある「その家業は斜陽の一途をたどり現在に至っている」という一文は、落涙をさそいます。その向かいにある田中家は江戸時代からの紙商人で、一戸建てのためうだつはあがっていませんが、火返し(防火壁)がとりつけられているそうです。まだまだ見どころはありますが、先に美濃橋を見物しにいきましょう。
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 すこし走ると長良川のほとりに出ましたが、「県指定史跡 上有知(こうづち)湊跡」という解説板がありました。後学のために転記しておきます。
 慶長6年(1601年)金森長近が領主となり小倉山城を築き、城下町上有知をつくりました。その繁栄策として、ここに上有知川湊を開き、番船四十艘をおき、物資交流の要地としました。その後江戸時代は美濃国四大川湊の一つとして明治末年電車が開通するまで水運の要点でした。
 この住吉灯台は水の守護神、住吉神社の献灯を兼ねて江戸末期に建てられ、夜毎川面を照らしていました。川湊の灯台として現存する全国的にも珍しい貴重な建造物であります。
 緑なす山並みをきれいに映す長良川、船着場、住吉神社、そして灯台を撮影。近くにはじめて見る意匠の透かしブロックがあったのでこちらもカメラにおさめました。さらに川沿いを走っていると、川端地蔵がありました。清泰寺住職が、長良川での水難者の霊を慰め、水難事故が起こらぬよう祈念して、建立されたそうです。なおこのあたりにかつて前野渡舟場があったとの解説板がありました。かつては商店や茶店、船頭屋敷などが軒を並べ殷賑を極めたそうです。しかし明治の終わりに鉄道が開通して上有知湊が廃止され、美濃橋ができて渡し舟もなくなってしまいました。合掌。
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 そして重要文化財の美濃橋に着きました。なるほど、これは見事な吊り橋です。豪快な二つの主塔、そこから吊るされたケーブルに支えられた鉄骨トラスの橋桁が、すばらしい景観をつくりだしています。竣工は1916(大正5)年、建設当時日本で最大級の支間を実現した名橋です。
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 それでは橋を渡って対岸に行ってみましょう。なお無理な水泳は禁止、老朽化のために通行は20人以下、橋からの飛び込みは厳禁、以上三点にご注意ください。橋のなかほどから長良川の美しい風景を堪能、遠くの方では太公望のみなさんが釣りを楽しんでおられます。
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 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2016-04-27 06:46 | 中部 | Comments(0)
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