伊勢・美濃編(44):杉原千畝記念館(14.9)

 ホテルに戻って自転車を返却し、駅前から八百津行きのバスに乗りました。車窓を流れる風景をぼんやりと眺めていると、上古井(かみこい)のあたりで元郵便局らしき物件を発見、屋根瓦の〒マークも視認できました。復路で撮影することにしましょう。そして三十分ほどで八百津に着きました。さてここからはタクシーがないと厳しい行程、もし客待ちをしていなければバス停か電話ボックスで最寄のタクシー会社の電話番号を探し当てるしかありません。こういうときには、携帯電話やスマートフォンがあれば便利なのですが、ま、いいや。いずれも手に入れる気は毛頭ありません。一擲乾坤を賭す思いで周辺を見渡すと、おおっ、ファミリーセンターのところで運よくタクシーが一台客待ちをしていました。地獄で仏、渡りに舟、さっそく乗り込んで希望する行程を説明して二時間貸し切りにしてもらいました。
 まずは、杉原千畝を記念してつくられた「人道の丘公園」へ。運転手さん曰く、日本人はあまり来ず、外国人(ユダヤ人)が多いそうです。まずは彼の事跡について、映画『杉原千畝』のサイトから引用しましょう。
 1939年、千畝が在カウナス日本領事館領事代理となった頃、ユダヤ人に対するナチス・ドイツの迫害が激化。ドイツ占領下のポーランドをはじめとする、ナチス・ドイツの影響の強い地域から逃れてきたユダヤ人にどのように対処するかが、国際的な問題となっていた。
 ドイツ占領下のポーランドから、リトアニアに逃れてきたユダヤ人へ向けて、日本のみならずいくつかの領事館でヴィザの発給はされていた。しかし、ドイツ軍が西方から侵攻してくるために、逃亡ルートは限られ、さらに1940年、リトアニアはソ連に併合され、各国の大使館・領事館は続々と閉鎖されていった。そのような状況下、ユダヤ難民の逃亡ルートはシベリア鉄道で極東まで進み、日本へ渡ってアメリカなどへ脱出するしかなかった。そのためには日本を通過するヴィザが必要となり、未だ閉鎖されていなかった日本の在カウナス領事館へ、ユダヤ難民が殺到した背景があった。
 すでに領事館閉鎖の勧告をソ連より受けていた千畝であったが、難民を逃すためヴィザを発給することを決意。領事館閉鎖までの約1ヶ月間、昼夜を問わずヴィザを発給し続けた。領事館閉鎖後も、1週間ほど滞在していたメトロポリスホテルや、さらに千畝のリトアニア出国当日も、カウナス駅で列車が発車する直前までヴィザに代わる渡航証明書を発給していた。
 日本政府より規定されていた、日本通過ヴィザの発給が認められる外国人の資格は、「避難先の国の入国許可を得ていること」「避難先の国までの旅費を持っていること」と定められていたが、千畝はその資格を持ちえない難民にもヴィザを発給。後年、外務省外交史料館で発見されたヴィザの発給リスト(通称:スギハラのリスト)にきされたヴィザの数は2139枚。1枚のヴィザで同行している子どもを含めた家族全員が救われた例も多かったことから、千畝が「命のヴィザ」によって救ったユダヤ人の数は、少なくとも6000人にのぼると言われている。
 その後、いくつかの国の領事館・大使館勤務後、1947年に日本に帰国。外務省からの退職勧告を受け入れ辞職した。後に、多くのユダヤ人の命を救出した千畝の功績が明らかとなり、1985年、イスラエル政府は千畝に「諸国民の中の正義の人賞」(ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅、すなわちホロコーストから自らの生命の危険を冒してまでユダヤ人を守った非ユダヤ人に感謝と敬意を示す称号)を贈る。日本人でこの称号を贈られた人物は、今日まで杉原千畝、ただ1人だけである。そしてこの称号が贈られた翌年1986年、86歳で千畝はその生涯の幕を閉じた。
 なお最近読み終えた『平和のための名言集』(早乙女勝元編 大和書房)の中で、彼の言葉が紹介されていました。
 苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。そして私は、何も恐れることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している。(p.212)
 それにしても敗戦後になって彼に退職を勧告するとは、さすがは日本の外務省です。

 まずは「杉原千畝記念館」の外観を撮影、実は本日月曜日なので休館です。旅程の都合上、今日にせざるをえなかったのですが、再訪を期しましょう。そして「人道の丘モニュメント」へ、パイプオルガンをイメージしたセラミック製のパイプが160本並べられていますが、これは建設当時の国際連合加盟国の数だそうです。顕彰碑と銅像、そしてどういうわけかシュバイツァーの銅像がありました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-05-01 09:16 | 中部 | Comments(0)
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