伊勢・美濃編(48):犬山(14.9)

 さてそろそろホテルに戻ってチェックアウトをいたしましょう。店の近くに内藤丈草の詩碑がありました。
閑歩逍遥登瑞泉  (逍遥の途 瑞泉寺の門をたゝき)
宿龍池上得詩禅  (青竜池のほとりで詩や禅を学んだ)
青松緑竹紅塵絶  (松や竹は浮世ばなれのたゞずまい)
又訪高僧入扣玄  (今日も扣玄の室に老師を訪ねて心を洗うのだ)
 内藤丈草…どこかで聞いたことがあります。己の不学蒙昧が恨めしい、さっそく今、スーパーニッポニカ(小学館)で調べてみました。
丈草 (1662‐1704) 江戸前期の俳人。内藤氏。…尾張犬山藩士で、青年時には漢詩を学び禅にも通じた。1688年(元禄1)病弱のため致仕、ついで遁世した。中村史邦を頼り上洛し、彼の紹介で芭蕉に入門。数年で『猿蓑』(1691)に発句12句が入集し、跋を書くほどの実力を発揮した。93年には近江に移り、無名庵に住し、翌年芭蕉の終焉の枕頭で「うづくまる薬の下の寒さ哉」の秀吟を詠んだことは著名である。師逝去後は3年の喪に服すことを決意し、『寝ころび草』を書き、ついで96年には義仲寺の近く竜ヶ岡に仏幻庵を結び、清閑と孤独を愛した。1700年(元禄13)には郷里に帰省。帰庵後は病がちで閉関の誓いをたて、師追福の法華経千部の読誦、一字一石の経塚を発願し、これを果たして翌元禄17年春2月24日に没した。篤実な性格で、清閑な境地を愛したが、一面洒脱でたくまざるユーモアがあった。…
 そうか、蕉門の俳人だったんだ。勉強不足でした。それにしても、篤実、清閑、洒脱、お手本にしたい徳目ですね、記憶にとどめておきたい方です。

 往きとは違う道を帰ると、米清旧宅など、登録有形文化財に認定された古い商家が二軒ありました。こうしてみると、ここ犬山には貴重な建築がかなりあるのですね。ただ解説がない物件もあるので、ぜひ完備して観光地図にも載せていただきたいものです。善処を期待しましょう。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-05-07 08:11 | 中部 | Comments(0)
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