伊勢・美濃編(53):明治村(14.9)

 八角尖塔が印象的なこの建物は、日本の細菌学の先駆者北里柴三郎が1915(大正4)年に芝白金三光町に建てた研究所の本館です。東大で医学を修めた北里柴三郎はドイツに留学、コッホのもとで、細菌学を研究し、破傷風菌の培養、破傷風の血清療法によって学界に認められました。帰国した翌年、1892(明治25)年に福沢諭吉の後援を得て日本初の伝染病研究所を設立、1914(大正3)年同研究所が東大に移管されると野に下り、辞表を提出した多くの所員と共にこの北里研究所を創立しました。いわゆる「伝研騒動」ですね。彼については、『栄光なき天才たち4』(作・伊藤智義 画・森田信吾 集英社文庫)というたいへん面白いマンガがあります。彼が師である緒方正規の学説を誤りであると指摘したため、帝大医科が猛反発したのですね。以後、帝大医科の重鎮、青山胤道による北里への執拗な嫌がらせが行われました。マンガの中にあった彼の科白です。
 わしは…ドイツで学問する事の素晴らしさを感じとって来たつもりだ… だが戻ってみた日本のありさまはどうだ!? ただただ西欧知識へ追従するのみで科学するという事を知らん! 同じ日本人の能力が信じられずくだらん勢力争いにうつつをぬかすこのありさま。疫病に苦しむ患者を横目に陣取り合戦か!? 泥試合だ! こんなのは…全く泥試合だ!! 知識の風を受けて志高く舞い上がるのが科学者ではなかったのか!? (p.81~2)
 そうそう、文部官僚の某がこんなことを言ったそうです。
 たとえ、孔子様であれ、孟子様であれ、帝国大学を出ていなければ教授にすることはできません。
 北里自身が学んだドイツの研究所に倣い、ドイツバロック風を基調に新時代の様式を加味した建物で、車寄上部には彼が発見した「破傷風菌」と平和のシンボル月桂樹をあしらった紋章が取り付けられています。これは現在も北里学園の校章とされているそうです。
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by sabasaba13 | 2016-05-13 06:37 | 中部 | Comments(0)
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