伊勢・美濃編(58):明治村(14.9)

 歩兵第六聯隊兵舎は、名古屋に置かれたものです。明治政府は軍隊に関してはフランスに教えを受けたので、こうした軍用建造物も、フランスの建築書を基に造られました。
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 なおこの後、政府はドイツを手本とするようになりますが、最近読み終えた『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』(片山杜秀 新潮選書)に興味深い記述があったので紹介します。
 明治維新によって誕生した日本陸軍は、旧幕府陸軍が万事フランス式に訓練されていた電燈を継承し、かの国を模範とします。当時のフランス陸軍も防御一辺倒。したがって創成期の日本陸軍も攻めより守りを重視したのです。よく防ぐ側が勝つ。それが明治初期の日本陸軍の中心的哲学でした。
 ところが、この1860年代的常識を1870(明治3)年から翌71年にかけての普仏戦争が揺り動かします。防戦を旨とするフランス陸軍に、旧式とも言える正面突破を第一義に掲げて吶喊攻撃をくりかえすプロイセン陸軍が勝ってしまった。フランス陸軍も攻撃の意義を見直しはじめ、新教義が日本にも伝来します。防御より攻撃が重要なら、後追いのフランスよりも本家のドイツに習った方が手っ取り早いだろう。普仏戦争以来、ドイツ贔屓となっていった山県有朋、大山巌、桂太郎、川上操六らによって、1880年代のうちに陸軍の準拠国はフランスからドイツに切り替わってゆき、1890年頃には軍楽隊教育などの限られた領分を除いてフランス色はついに一掃されます。よく攻める側が勝つ。哲学は改まったのです。(p.112)
 へえーなるほど、普仏戦争が転機となって日本の戦争哲学が変わったんだ。この後、第一次世界大戦を経てさらにどのように変化をし、それが十五年戦争という結果にいたるか、たいへん鋭い分析がなされている好著です。お薦め。

 本格的な洋式大病院の建設は軍隊によって行われ、名古屋衛戍病院はその初期例です。造りは質素ですが、清潔感にあふれたいかにも病院という雰囲気です。
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by sabasaba13 | 2016-05-18 06:54 | 中部 | Comments(0)
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