『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』 (その一)

 また米軍関係者による凶悪な犯罪が起こりました。そして日本政府は「再発防止」を強く要求し、アメリカ側も「再発防止」を固く約束し…やれやれ、これまでこのやり取りが何度くりかえされてきたのでしょう。
 ということは、結局こういうことですね。日本政府は再発しても仕方がないと諦めており、アメリカ政府は再発しても仕方がないと開き直っている。つまり双方とも、米兵による凶悪犯罪をなくそうとする気は毛頭ないということですね。
 なぜか? やはりアメリカ合州国は宗主国、日本は属国、そして沖縄は植民地であるからだろうと思わざるをえません。要するに、宗主国の兵士が植民地の女性を強姦・殺害しても、属国としては手も足も出ない…ということでしょう。そのからくりを見事に暴いてくれる好著が『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(前泊博盛 創元社)です。タイトルからして刺激的ですね。前泊氏はこう言っておられます。
…日米両国の「属国・宗主国関係」とは、たんなる外交上の圧力や力関係から生まれたものではなく、きちんとした文書にもとづく法的なとり決めだからです。
 その法的なとり決めの中心こそ、本書のテーマである「日米地位協定」です。
 「戦後日本」という国家の根幹をなすもっとも重要な法律(法的とり決め)は、残念ながら日本国憲法でもなければ、日米安保条約でもありません。サンフランシスコ講和条約でもない。日米地位協定なのです。(p.4~5)
 そう、憲法はほいさかほいさか変えようとする安倍伍長が、金科玉条の如く絶対に変えようとしない取り決め、日米地位協定に着目すべきだというのが、本書のテーマです。ちなみに、氏は日米地位協定とは、「アメリカが占領期と同じように日本に軍備を配備し続けるためのとり決め」(p.17)、「日本における、米軍の強大な権益についてのとり決め」(p.18)であると定義されております。要するに、1945年、太平洋戦争の勝利によって米軍が日本国内に獲得した巨大な権益が、戦後70年たったいまでも維持されているということです。

 さて、この日米地位協定は、1952年に旧安保条約と同時に発効した「日米行政協定」を前身としています。その日米行政協定を結ぶにあたってアメリカ側がもっとも重視した目的が、①日本の全土基地化、②在日米軍基地の自由使用でした。日本の全土基地化とは、日本国内のどの場所でも米軍基地にできるということ。言いかえれば、日本全土を米軍にとっての「潜在的基地(ポテンシャル・ベース)」にするということです。言い換えると、日本のどんな場所でも、もし米軍が必要だと言えば、米軍基地にすることができるという取り決めです。これはおかしな話で、完全な属国か植民地以外、そのような条約が結ばれることはありえません。どんな国と国との条約でも、協定を結んで他国に軍隊が駐留するときは、場所や基地の名をはっきりと明記するのが当然です。もちろんアメリカも、日本以外の国と結んだ協定ではそうしています。イギリスと結んだ協定でも、フィリピンや韓国と結んだ協定でも、米軍が使用できる基地は具体的に付属文書のなかに明記されているのです。ところが日本の場合だけは、それが明記(=限定)されておらず、米軍がどうしても必要だと主張したとき、日本側に拒否する権利はありません。
一方、在日米軍基地の自由使用とは、占領期と同じように、日本の法律に拘束されず自由に日本国内の基地を使用できることを意味します。
日米安保条約におけるアメリカ側の交渉担当者だったジョン・フォスター・ダレス(当時、国務省顧問)の有名なセリフを借りれば、日本の独立(占領終結)に際してアメリカ側が最大の目的としたのは、「われわれが望む数の兵力を、〔日本国内の〕望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保すること」でした。よってアメリカにとってこの日米行政協定が最重要の取り決めだったのですね。寺崎太郎・元外務次官の言葉です。
 「周知のように、日本が置かれているサンフランシスコ体制は、時間的には平和条約〔サンフランシスコ講和条約〕-安保条約-行政協定の順序でできた。だが、それがもつ真の意義は、まさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかったことは、今日までに明瞭であろう。つまり本能寺〔=本当の目的〕は最後の行政協定にこそあったのだ」 (p.44)
 さらに重要なのは、このときダレス自身が、「アメリカにこのような特権をあたえるような政府は、日本の主権を傷つけるのを許したと必ず攻撃されるだろう。われわれの提案を納得させるのはむずかしい」として、自分たちがこれから日本に要求する巨大な特権が、明白な主権侵害であることを認めていたということです。さらにダレスはスタッフ会議で、「ほかの連合国を説得するまえに、講和条約と安保条約について日米の合意を確立しておくことが絶対に必要だ。日米の意見に相違点があれば、たとえばイギリスがそこにつけこんで、さまざまな争点をかきたてるだろうし、ソ連は反米プロパガンダの口実とするだろう。だからアメリカは、日本から確実に基地の権利を獲得するために、寛大な講和条約を用意したのだ」
 このように、寛大な講和条約(平和条約)の代償として結ばされた「日本全土の基地化条約」と「在日米軍基地の自由使用条約」、これが1951年に調印された旧安保条約の正体だったのです。だから、サンフランシスコ講和条約が豪華なオペラハウスで、48ヵ国の代表とのあいだで華々しく調印されたのに対し、日米安保条約はどこで結ぶのか、いつ結ぶのか、最後の最後まで日本側は教えてもらえませんでした。あまりにアメリカにとって有利な特権を認める条約であること、逆に日本にとって売国的な条約であることが、アメリカ側にはよくわかっていたのですね。そのため先にのべたようにダレス自身が、ソ連などからだけでなく、イギリスなどの西側諸国からも妨害が入ることを警戒していたのです。

 そして1960(昭和35)年1月19日に、新日米安保条約に基づき締結されたのが日米地位協定(日本での法令区分としては条約)ですが、「いかなる場合にも米軍の権利が優先する、治外法権にもとづく不平等協定」という中身は日米行政協定とほとんど変わっていません。前泊氏が指摘される問題点は、次の五つです。
①米軍や米兵が優位にあつかわれる「法のもとの不平等」
②環境保護規定がなく、いくら有害物質をたれ流しても罰せられない協定の不備など「法の空白」
③米軍の勝手な運用を可能にする「恣意的な運用」
④協定で決められていることも守られない「免法特権」
⑤米軍には日本の法律が適用されない「治外法権」 (p.74~5)

 首都圏が横田基地・横須賀基地など在日米軍に占拠されている異常事態、潜水艦の浮上掲旗義務違反、米兵の犯罪不起訴率100%などなど、具体例を列挙するときりがありませんので、一つだけ紹介します。もしかすると今回の事件にも関係するかもしれません。それは米兵犯罪における裏取引の話です。本来は米兵ないし米軍(米国)が払わなければならない「被害者補償金」を、米軍が値切ったために日本政府が被害者とのあいだの示談交渉の仲裁に入り、米軍が値切った不足分を日本政府が肩代わりするということが起きています。また沖縄の嘉手納基地や普天間基地、神奈川県の厚木基地、東京都の横田基地などの周辺住民が起こした、米軍機の騒音〔爆音〕による被害の救済を求める爆音訴訟でも、過去何度も住民側が勝訴して、そのたびに被害補償の支払いを命じる判決を裁判所から受けているのですが、その裁判の賠償金の支払いを米側が拒んだために日本側が全額負担させられているという問題が起きています。もはや主権国家とはいえませんね、こりゃ。
 
 まだまだ驚かなくてはいけないことがあります。この日米地位協定を含む、日米で結ばれる安全保障上の重要なとり決めの多くが、英語だけで正文が作られ、日本語の条文は「仮訳」という形になっているのだそうです。そのことの意味は、ふたつ。「正文」を変更して国民をだませば「犯罪」になりますが、ウソの条文を作っても、仮訳なら「誤訳だった」といってごまかすことができる。これがひとつ。もうひとつは、日本語の正文が存在しなければ、条文の「解釈権」が、永遠に外務官僚の手に残されるということです。

 もう言葉もありません。敗戦後の日本は法治国家・主権国家ではなかったし、今でもそうではない。下手すると未来永劫、法治国家・主権国家でない状態が続く。この冷厳なる事実に眼を向けましょう。アメリカ軍の*を舐め続けてきた/いる官僚、自由民主党を筆頭とする政治家、好きな言葉ではありませんが、「売国奴」という称号を進呈します。そして傍若無人・破廉恥にふるまうアメリカ軍にずっとずっとずっと、そしても今も苦しんでいるのが、75%の米軍基地が集中する沖縄です。今回の事件は氷山の一角に過ぎません。さあわれわれヤマトンチュはどうします。①見て見ぬ振りをこれからもしつづける、②沖縄の米軍基地を本土に移転させる、③安保条約を廃棄してアメリカ軍におひきとりを願う。選択肢はこの三つしかないのでは。でも「日本の怒り」ではなくて「沖縄の怒り」と連呼するメディアをそれに違和感を覚えない多くの方々を見ていると、①を選択しそうですね。やだなあ、それでは「人でなし」になってしまう。「売国奴」が統治する「人でなし」の国・日本、涙も枯れ果てるほどみじめな現実です。
by sabasaba13 | 2016-05-26 06:33 | | Comments(0)
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