伊勢・美濃編(61):明治村(14.9)

 そしてこちらも再会を待ち望んでいた物件、「喜之床」です。東京本郷にあった新井家経営の理髪店で、二階二間は、石川啄木が函館の友宮崎郁雨に預けていた母かつ、妻節子、長女京子を迎えて1909(明治42)年6月16日から東京ではじめて家族生活をした新居です。啄木はここで文学生活をしながら京橋滝山町の東京朝日新聞社校正部に勤めていました。そして翌年の12月に出版したのが処女歌集「一握の砂」であり、また啄木の思想にも影響した大逆事件が起きた年でもあります。その頃から母も妻も啄木も結核性の病気になり、二階の上り下りも苦しくなって、1911(明治44)年8月7日小石川久堅町の小さな平家建の家に移りました。翌年3月7日にはそこで母かつが死に、4月13日には啄木もまた母の後を追うように27歳の薄倖の生涯を閉じました。合掌。
 石川啄木は大好きな歌人であり思想家です。彼が『時代閉塞の現状』(1910)で述べた「我々青年を囲繞する空気は、今やもう少しも流動しなくなつた。強権の勢力は普く国内に行亘つてゐる。現代社会組織は其隅々まで発達してゐる。-さうして其発達が最早完成に近い程度まで進んでゐる事は、其制度の有する欠陥の日一日明白になつている事によつて知る事が出来る」という一節を、まるで百年以上も前の状況とは思えない昨今、あらためて読み返したい作家です。啄木関連の史跡はこれまでも、渋民村十和田湖盛岡函館札幌小樽旭川釧路本郷上野駅を訪れてきましたが、これからも追いかけ続けていきたいと思います。なお啄木がつくった、食べものをからめた歌が紹介されていました。
それとなく故郷のことなど
語り出でて
秋の夜に焼く餅の香かな

新しきサラドの皿の
酢のかをり
心にしみてかなしきゆふべ

ひとしきり静かになれる
ゆうぐれの
厨にのこるハムのにほひかな

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by sabasaba13 | 2016-05-29 09:03 | 中部 | Comments(0)
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