伊勢・美濃編(62):明治村(14.9)

 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、夏を焼津で過ごすようになり、その時身を寄せていたのが、この魚屋、山口乙吉の家です。解説がったので転記しておきます。
 八雲と焼津
 八雲が焼津へ避暑に行くようになったのは、東京に住んでからである。水泳が好きな八雲は、焼津の深くて荒い海を気に入ったのである。
 東京では寸暇を惜しんで執筆活動をしていた八雲だが、焼津では、長男一雄の勉強をみたり、東京に残る妻節子へ手紙を書いたり、何よりも散歩や水泳を好んだ。そして、滞在する山口家の当主山口乙吉をはじめとする焼津の人々に魅力を感じて、焼津を一層気に入り、毎年のように通ったのである。
 八雲には、焼津を舞台とした「乙吉の達磨」「焼津にて」「漂流」などの作品がある。

 小泉八雲と焼津
 焼津滞在中の八雲の服装は(これは私の母が語ってくれたのであるが、印象はあまりいい恰好ではなかったようだ)、木綿でできた縞模様の浴衣に、三尺の兵児帯を締めた、ごくさっぱりした姿であった。ところが帯の締め方が、腰より上の胴廻りに締めていたので、乙吉が腰廻りに締めるよう教えても、「この方が前割れしないから」と直そうとしなかった。散歩の時は、焼津独特の菅笠をかむり、藁草履で、緒には赤い布が巻いてあった。これは散歩好きの八雲のため、足指を傷めないよう乙吉の手製である。八雲は乙吉の心根に感じ、好んで履いて歩いた。散歩するには必ず乙吉が付添い、土地の伝説やら、由来やらを途々歩きながら話して聞かせた。「乙吉だるま」「漂流」「焼津にて」などの作品になっている。
 散歩のお伴には、乙吉の外に小学一年の乙吉の末娘さき(後小泉邸へ女中として行く)や、近所の腕白共が付いて歩いた。片方の目がなく、もう片方の目の大きい、どんぐり目の八雲の風体は決して優しい印象は与えなかったのに、子供達からは妙に慕われて、海水浴には毎日のように一緒に泳いだ。海に入る時は、浜の漁師達と同様、八雲もフリチンで泳いだ。勿論子供達も男女を問わず同様である。当時小学校高学年であった長男一雄さんが、恥かしいといって海に入らなかったところ、ひどく叱られたと思い出に記している。何の虚飾もない焼津の人々の人情が、若い時代から苦労して来た八雲にとっては、此の上ない好もしいものであったようである。
八雲顕彰会会長 北山宏明
 すごくいい話ですね。彼と焼津の人々の交流が目に浮かぶようです。彼に関する史跡も、けっこうまわってきました。ダブリン熊本新宿松江などなど。なお山ノ神が言うには、『日本の面影』(角川文庫)がすごく面白いそうです。今度読んでみようかな。
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by sabasaba13 | 2016-05-30 08:49 | 中部 | Comments(0)
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