伊勢・美濃編(67):明治村(14.9)

 そして最大のお目当て、フランク・ロイド・ライトによって設計され1923(大正12)年に完成した帝国ホテル中央玄関に到着です。まずは正面から写真撮影。まるで神殿のような荘厳な佇まいが、池の水面にきれに映しだされています。さまざまな装飾を施した大谷石と透しテラコッタ(立体焼き物)、味のあるスクラッチ・タイル、随所を飾るオブジェ、水平線と垂直線を幾重にも組み合わせた構成、建物というよりはもうアートです。
 それでは中に入りましょう。中央には三階までの広大な吹き抜きがあり、各部屋や施設はこの廻りに展開されています。内部も、大谷石と透しテラコッタとスクラッチ・タイルが縦横無尽・天衣無縫に組み合わされ、装飾性にあふれた空間になっています。奥まで歩いて振り返ると…そこには劇的な光景が。さまざまな箇所から取り入れられた外光が陰影の多い装飾を浮かび上がらせ、光と影の饗宴をくりひろげています。窓枠、照明、家具にもライトの美意識が行き届き、見飽きることがありません。せっかくなので、ティー・ルームで珈琲をいただきましたが、こちらの椅子もライトのデザインですね。
 なおこの建築に関しては、ライトの人生と帝国ホテルとの関わり、帝国ホテルをめぐるさまざまなドラマや確執を綴った『帝国ホテル・ライト館の謎 -天才建築家と日本人たち』(山口由美 集英社新書)という好著があります。その中に次のような一節がありました。
 ライトは建築に関して、哲学めいた言葉をそれこそ山ほど残している。ひとつひとつを取りあげていたら、きりがないのだが、これだけは避けて通れないというのが「有機的建築(オーガニック・アーキテクチャー)」という概念である。
 これは自然界における造形物がすべてそうであるように、それぞれの部分が関わり合いながら、ひとつの完全なものを形づくっているという意味だ。たとえば、ライトはサボテンのことを、どんな建築家もかなわない完璧な造形だと絶賛したが、砂漠にあっては、サボテンのあの造形こそが、その姿でなければ生きられないぎりぎりの姿であり、そういうものこそが「有機的建築」であるという。サボテンに限らず、自然の中にこそ理想的な「有機的建築」は存在するとライトは考えていた。だから、建築は、何よりも自然から学ばなければならないのだ。(中略)
 帝国ホテルのライト館には、外観はもちろん内装にまで、過剰とも思える装飾が施されていた。だが、それは、ほかに絵画だの置物だの余分な装飾品を置かなくても、それだけで完成した建物にするためなのだと、ライトは、後に支配人となる犬丸徹三の著作『ホテルと共に七十年』の中で語っている。皮肉な見方をすれば、予定の工費をはるかに超過していた状況にあって、自分の建築の経済性を主張したエクスキューズと取れなくもないが、それぞれの部分が関わり合って、ひとつの完全なものを形づくっているというのは、確かに「有機的建築」そのものである。
 そう言えば、今回の取材の過程でライトの助手だった遠藤新の次男、建築家でもある遠藤陶に会ったとき、ライト館に関して彼が面白いことを言っていた。
「ライト館では迷うということがないんですよ。たとえば、トイレに行きたいと思ってなんとなく歩いていると、ちゃんとトイレの前に出る。行きたいと思うところに、自然に行けるんです。その点、最近のホテルは、迷っていけません」 (p.29~31)


 本日の九枚です。
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by sabasaba13 | 2016-06-07 06:46 | 中部 | Comments(0)
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