伊勢・美濃編(68):明治村(14.9)

 そしてこんな素晴らしい建築を壊して建て替えるという暴挙・愚行を何故したのかと常々思っていたのですが、本書を読んでその理由が分かりました。意匠としては見事なこの建物には、さまざまな欠陥があったのですね。帝国ホテルの敷地には軟らかいヘドロ状の粘土層があり、ライトはこの軟らかい地盤が地震に際してはクッションになると考え、海の上に船を浮かべるように、建物を粘土層に浮かべたのですね。これを「浮き基礎(フローティング・ファンデーション)」と言うそうですが、実際には部分的に沈下したり傾いたりして営業に耐えられないほど老朽化してしまいました。熱源が電気であるため、暖まるのに時間がかかり、火傷をする危険性があり、費用がかさんだこと。また、建物にあわせて家具や備品をデザインしたため、見た目は美しいが、宿泊客にとっては窮屈で余裕がなかったそうです。さらに意外なことに雨漏りがひどかったこと。柔らかく彫刻のしやすいことから、ライトは大谷石を多用したのですが、この石は雨に弱かったのですね。客室係の竹谷年子は著書『客室係がみた帝国ホテルの昭和史』の中でこう語っています。
 こんなことをいうと、あの帝国ホテルが、と驚く方がいらっしゃるかもしれませんが、そのころ、ライト館は雨漏りがひどかったんです。どこからということはなく、雨が漏ってくるんですね。ですから私たちは、雨が降ると、バケツとモップを持って、雨漏りの場所にとんでいったものです。(p.175)
 なお、このライト館の落成披露宴が行われる二分前、1923(大正12)年9月1日午前11時58分に関東大震災が起きました。その揺れに耐えたという「ライト神話」がありますが、基礎部分こそ無事だったものの、柱が折れ壁に亀裂が走るなど無傷でなかったとのことです。記憶にとどめておきたいのは、ライト館が大震災の中で生き残ったのは、帝国ホテルの従業員が身を挺してライト館を火災から守ったからだということです。類焼しそうになる危機が四回ありましたが、そのたびに、従業員が壁や屋根によじ登り、宿泊客も加わったバケツリレーで、降りかかる火の粉を防いだそうです。
 というわけで、手放しで礼賛するわけにはいかないのですが、下記のように考えればいいのかもしれません。
 林七郎は、ライトについて辛辣な言葉を重ねながらも、ライトのことを称して「彼はデザイナーであって、建築家ではない」という言い方をしていた。この言葉は、ある意味で、的を得ている。建築家としての彼を否定するのではない。ライトの才能の本質は、建築の技術的な部分ではなく、その独創的なデザイン性にこそあると思うからだ。(p.190~1)
 日本で見学できるライトの作品は、自由学園明日館山邑邸、いずれも逸品です。なおフランク・ロイド・ライトを描いたマンガ、『ギャラリー・フェイク』(細野不二彦 小学館)第7巻所収の「落水荘異聞」も面白いですよ。

 本日の八枚、神が宿り給う細部です。
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by sabasaba13 | 2016-06-08 06:41 | 中部 | Comments(0)
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