伊勢・美濃編(72):明治村(14.9)

 そして日本は、この弱肉強食の近代世界に、むりやり放り込まれたわけですね。江戸時代のヴィジョンは、技術力によってアジア依存型経済から自立し、国内市場を活性化し、侵略や植民地化という事態をかぶることのない、世界の中で立ちゆく力をつけることでした。また、野望を縮小することで節度を手に入れ、内戦や暴力をできうる限り防ごうとした時代でもありました。生産性や効率を重視せず、齷齪働かなくても、みんなが貧しいけれどほどほどの暮らしを満喫できる。もちろん手放しで美化するつもりはありませんが、それなりに安定し秩序立った社会であったと思います。住みたいような天国ではないけれど、行きたくない地獄でもない。今の日本もそうですけれどね。
 さて、1853(嘉永6)年のペリー来航以後、世界経済という生き馬の眼を抜くような厳しいピッチにひきずりだされた日本。幕末・維新をリードした下級武士たちは、その状況についてある程度は分かっていたようです。懐手してぼんやりしていれば尻の毛まで抜かれてしまう、この弱肉強食のジャングルで冷飯を喰わされずに生き残るには、どういう制度設計をしてどんな国家にすればよいのか。徳俵に足をかけたままの試行錯誤がはじまります。留学生や岩倉使節団の派遣、お雇い外国人の雇用によってある程度の青写真を得た維新官僚たちは、国際社会の成功者・勝ち組になるべく、西洋の軍事と産業に関する制度・技術・インフラストラクチャーや、それに随伴する西洋的な法・教育・文化・風俗・思想を導入していきました。国家のため/己のために精力的・自発的に働き努力する国民をつくりだすための教育制度も整備されます。そして大衆を指揮・管制し、社会を効率的に動かして生産性を最大限にあげさせるために、強力な司令塔としての中央政府およびその爪牙となる地方行政制度もつくられていきました。明治村に展示されている建造物は、そうした歴史の生き証人なのですね。
 まずは歩兵第六聯隊兵舎、名古屋衛戍病院といった軍事施設。近代社会組織のもっとも完璧なモデルは軍隊組織であると理解していた明治政府は、国民教育の場としても軍隊を重視しました。産業に関する近代化遺産としては鉄道局新橋工場、鉄道寮新橋工場、工部省品川硝子製造所、名鉄岩倉変電所。産業を支える交通インフラとしての品川燈台、菅島燈台附属官舎、六郷川鉄橋、尾西鉄道蒸気機関車1号、隅田川新大橋、通信インフラとしての札幌電話交換局・宇治山田郵便局舎といった物件も興味深く拝見しました。近代産業に欠かせない金融機関では安田銀行会津支店と川崎銀行本店。
 知識や技術を身につけ、より効率的で生産性が高く、かつ利益があがる機械・技術・システムをつくれるエリートを育成するための高等教育施設としての第八高等学校正門、学習院長官舎、第四高等学校物理化学教室、第四高等学校武術道場「無声堂」。こうした高等教育機関には、下の英才をすいあげ、彼らがカウンター・エリートに走るのを防止する社会的煙突の役割を果たしていました。建前とはいえ、"天皇以外であれば、いかなる有力者の位置にものぼりうる"という「一君万民」思想は、近代化を進めるうえできわめて有効だったと思います。分相応の範囲で近代的な機械・技術・システムに習熟し、従順・愚直・真面目に働く大衆を教育するための一般的教育施設が三重県尋常師範学校・蔵持小学校、千早赤阪小学校講堂。
 社会を効率的に管制する行政機関としては、三重県庁舎と東山梨郡役所。それを支える司法・警察に関する建造物、京都七条巡査派出所、金沢監獄正門、東京駅警備巡査派出所、前橋監獄雑居房、金沢監獄中央看守所・監房、宮津裁判所法廷が保存されているのには見識を感じます。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-06-14 06:37 | 中部 | Comments(0)
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