立石鐵臣展

 先日、たまたま野暮用があって東府中に行き、たまたま小一時間ほど暇ができました。東府中と言えば、武蔵野の俤を残す府中の森公園と府中市立美術館ですね。どんな展示会が開かれているが知りませんが、ぶらりと訪れてみました。立石鐵臣? 初耳ですね、でも未知の画家との出会い、わくわくします。美術館のホームページから転記します。
 日本統治時代の台湾で活躍した油彩画家立石鐵臣(たていしてつおみ)(1905年-1980年)の展覧会を開催いたします。立石鐵臣は台北に生まれ、少年期に帰国し、日野尋常小学校、明治学院中学校に学びます。幼少期は病身がちでしだいに絵画に関心を深め、鎌倉で岸田劉生から、さらに東京で梅原龍三郎と、大正と昭和を代表する二人の巨匠から指導を受け、日本絵画の将来を嘱望されました。幼少期の台湾経験もあり、再び台湾にわたり絵画、民俗研究、装丁、批評活動などに幅広く活躍。台湾近代油画の重要画家、楊三郎、陳澄波、陳清汾、李梅樹、李石樵、廖繼春、顔水龍らが、台湾最大の在野油絵団体「台陽美術協会」を創立するにあたり、ただひとりの日本人として立石鐵臣おみが迎え入れられるなど、まさしく台湾を愛し、そして台湾から愛された画家でした。

 1945年日本の敗戦により、2年間の留用期間を経て、作品も資産も全て失っての日本への引き揚げとなり、戦後はまさにゼロからのスタートでした。台湾時代に得た細密画技法は冴え渡り、日本の細密画の最高峰に至りました。台湾での様々な出会いが、戦後日本の子供たちへ昆虫図鑑や児童書の挿絵などを通して伝えられました。再び訪れることのなかった麗しきふるさと台湾へのあふれんばかりの郷愁の念が、彼の代表作「春」にこめられました。
 またこの度の展覧会では、立石鐵臣が大コレクター福島繁太郎に贈った「台湾画冊」を日本初公開いたします。ここには立石の台湾への想いが凝縮されているばかりでなく、日本統治期の台湾の世相のぬくもりさえもが濃厚に感じられます。
 台湾で活躍した立石鐵臣の回顧展は、新たな日本近代絵画の幅を広げ、今後のさらなる台湾と日本との友好と互いの文化風土の特性を認め合う相互文化の豊かさにつながるものと確信し、展覧会を開催いたします。ぜひご覧下さい。
 展示会場に入ると、来訪者は…ひとり、向うにひとり…いやはや伊藤若冲展とはえらい違いですね。おかげさまで心静かにのんびりと堪能することができました。
 やはり白眉は、トンボ、蝶、甲虫といった昆虫の細密画です。1ミリ四方に点を10打てるという超絶技巧を駆使して描かれた、それはそれはリアルな虫たちの姿には感嘆しました。小さい命に対する、作者の畏敬と愛情の念がびしびしと伝わってきます。己のできうる限り対照に迫り、その真なる姿を描き切ろうとする姿勢は、デューラーの自画像を思い起こさせます。害虫たちですら、虚心な目で見つめると、その姿はこんなにも美しいのですね。
 『台湾画冊』は、台湾への望郷の念をつのらせた立石が、台湾時代に見聞きした楽しい台湾風物を墨と水彩で描いた画帖です。絵画コレクターの福島繁太郎に献呈されたものです。自由奔放、軽快なタッチの絵と、愛情に満ちた洒脱な文章のマリアージュ。じっくりと拝見したかったのですが、時間がないのでカタログを購入することにしました。なお最後の「吾愛台湾!」では台湾から離れる別れの場面が描かれ、「ランチ二そう、わが船を追い、波止場をかなり離れるや、日章旗を出して振る。日人への愛惜と大陸渡来の同族へのレジスタンスでもあろう」と記されています。"大陸渡来の同族"とは、1949年の中華人民共和国の成立によって、台湾へ逃れてきた蒋介石政権(国民党)の関係者たちをさしているのでしょう。この時に、150万ないし200万ともいわれる官吏、軍人、商工業者とそれらの家族が大陸から台湾に流入しました。彼らは外省人と呼ばれ、すでに台湾に居住していた漢民族の本省人、そして先住民族である原住民とは区別されます。この外省人によって台湾の政治・経済は牛耳られ、1947年に役人の腐敗に端を発して本省人の大規模な抵抗がはじまります。(二・二八事件) これに対して、国民党政権は徹底的な殺戮を行い、その犠牲者は約二万八千人といわれます。以後、戒厳令がしかれ国民党による強権的な独裁政治が続き、アメリカの援助による「反共の砦」化が進められました。
 贅言ですが、台湾において反日感情が弱く、親日家が多いことから、台湾の植民地支配を正当化し、ひいては戦前の植民地支配は全面的に悪い点ばかりではなかったとする説も聞かれます。俗耳に入りやすい論ですが、台湾と朝鮮の相違点にはきちっと留意すべきでしょう。朝鮮の場合は、ナショナル・アイデンティティが生れつつあった独立国家を併合するという類例を見ない植民地化であったため、ナショナリズムにより触発された激しい抵抗を生みます。また満州・中国・ロシアに近接するという戦略上重要な位置にあるため、抗日運動を鎮圧するために日本による支配は酸鼻を極める過酷なものとなりました。以上二つの条件が台湾には欠けていたために、その支配も緩やかなものとなりました。創氏改名をした/させられた割合も台湾では約20%だったそうです。同時に、戦後の国民党による強権支配との比較で、日本による統治をまだましであったとする思いもあるのではないでしょうか。戦争に動員した台湾人への補償措置もなされていない以上、この問題は安易に考えるべきではないと思います。
 そして晩年の幻想画も素敵ですね。ポスターにもなった「春」がやはり心に残ります。上半分を青で、下半分を黒でベタに塗られた画面構成。上部では、薄い雲がたなびき、白い蝶が群れ飛びます。下部には、作者の想いを託されたモノたちの細密画が、規則ただしく並べられています。ネコヤナギ、熱帯の花々、木蓮、孔雀の羽根、蕨、麦の穂、虫たち、貝殻。そして四枚のタロットカードは、カタログによると「愚者:全てを捨てた自由人」「つるし人:どんな困難も喜んで受け入れる、あるいは両極に引き裂かれた人」「空想好きな陰の努力家」「感受性豊かな画家」をあらわしているとのことです。中央には「ベリー公のいとも華麗なる時祷書」の三月の図。台湾への望郷の念とともに、これまでの人生をふりかえりキャンバスに描いた珠玉の作品。静謐で美しい世界に見惚れてしまいました。台湾とヨーロッパ文化、そしてなによりも自然へのオマージュとも言うべき逸品です。

 というわけで、水無月の典雅なひとときを楽しむことができました。こういう未知の素晴らしい画家に出会え、そして静かにゆっくりとその絵を鑑賞できるのは、ほんとうに喜ばしいことです。伊藤若冲展も見たかったのですが、320分も待たされたうえに、芋を洗うように押し合いへしあいしながらあわただしく絵を見るのは堪えられそうもないのでやめました。やはりこうでなくてはいけません。

 なお台湾旅行記を以前に上梓しましたので、よろしければご笑覧ください。

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by sabasaba13 | 2016-06-20 14:33 | 美術 | Comments(2)
Commented by PineWood at 2016-06-22 03:17 x
昨日、本展を見て来ました。府中の森を抜けるとそこに有る府中美術館、此処で台湾で描いてきた画家・立石鐵臣の作品を初めて観ました…。でも、実際は細密な昆虫や植物図鑑や絵本の挿画は以前見た事が絶対に有ったーと、そんな既視感に包まれてしまいました。そのスタイルは、ピカソの様にどんどん換わるけど、どのスタイルも徹底したいる。晩年の絵画はシュールで大きな絵札みたいでー。西はボッテチェリの(プリマベーラ)、東は立石鐵臣の(春)と~対比した評価を下す解説もある。あのボッテチェリでさえ美術史の中で当初忘れられた存在だった事を考えると、台湾で知られる画家・立石鐵臣が不死鳥の様に甦った本展示は本当に貴重な機会だったと想う。
Commented by sabasaba13 at 2016-09-20 20:40
 こんばんは、PineWoodさん。お返事が遅くなって申し訳ありませんでした。あまり著名ではないけれども素晴らしい画家を紹介するのは、美術館の重要な責務だと思います。府中市立美術館は往々にしてそうした試みを行なってくれます。あらためてその見識に敬意を表します。
 おっしゃるとおり、立石鐵臣の絵はスタイルが千変万化していきますが、それを貫く棒のようなものがあると思います。うまく言えないのですが、描く対象に真摯かつ静謐に迫る姿勢を感じます。素敵な絵描きに出会えて幸せです。
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