江戸東京たてもの園編(5):(14.9)

 三井八郎右衛門邸は、四大財閥のひとつ、三井同族十一家の総領家(北家)、三井八郎右衛門高公氏の第二次大戦後の住宅です。今井町(現、港区)にあった邸宅が戦災で焼けたため、財閥解体を経た1952年(昭和27)に麻布笄町(現、港区西麻布)に本邸を建築して、移り住んだとのことです。日本各地にあった三井家に関連する施設より部材などを集めて建てられており、その財力をしのばせます。
 そうそう、ちょっと調べものがあって、『國史大辞典 第4巻』(吉川弘文館)を読んでいたら、「臨時軍事費特別会計」について下記の記述がありました。
 同12年9月に臨時軍事費特別会計が設置され(21年2月まで)、総額1553億9700万円が支出された。臨時軍事費特別会計においては予算科目はほとんど区別されず、費目間の流用、予算外契約、予算の超過、予備金の大幅の計上によって予算の意味そのものが失われてしまった。そのうち民間への支払い額は約1400億円と推計された。同17年までの支払い先別内訳をみると、総額279億円中、62%が三菱重工業・中島飛行機などの機械工業会社、14%が三井物産・三菱商事などの商事会社であった。支払い方法として前払金制度が広く用いられ、総資本中に占める政府前払金の割合が六割以上に上る会社も現れた。このような軍事支出により軍需生産は19年まで増大を続けたが、軍需品は再生産過程外で消耗されるため、繊維部門などの消費手段生産部門は縮小に向かった。軍事費調達のために何度も増税が行われたが、公債・借入金が八割から九割を占めていた。その結果国債残高は11年度末の106億円から20年度末の1408億円と膨張した。政府は国債の民間消化を強制的に進め、物価統制を強化したが、インフレーションが激化した。かくして明治以来敗戦までの軍事費を中心とする日本資本主義財政は、国民生活を破壊して終了したのである。(p.1011)
 この立派な邸宅にも、血税が流用されていたのかもしれませんね。財閥や大企業が戦争によって、どうやって、どれくらいの膨大な利潤を手にしたのか、きちんと知りたいものだし、是非学校でも教えてほしいものです。戦争の悲惨さを若者や子どもに伝えるのも勿論重要ですが、戦争によって甘い汁を吸った方々のことを知れば、抑止力はより高まると愚考します。
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by sabasaba13 | 2016-07-05 06:46 | 東京 | Comments(0)
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