江戸東京たてもの園編(6):(14.9)

 デ・ラランデ邸は、スレート葺きの屋根と、白い下見板張りの外壁が印象的な、ドイツの山荘風の邸宅です。そういえば、神戸北野にある風見鶏の館も彼の設計でした。解説板を転記します。
 デ・ラランデ邸は、新宿区信濃町にあった西洋式住宅である。1階部分は明治時代の気象学者・物理学者である北尾次郎が自邸として設計したと伝えられる木造平屋建て・瓦葺き・寄棟屋根・下見板張りの洋館であった。1910年(明治43)ころ、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより、木造3階建ての住宅として大規模に増築された。その際、北尾次郎居住時の1階部分も大改造されている。スレート葺きのマンサード屋根と、下見板張りの外壁が特徴である。デ・ラランデは、この住宅で、妻と4女・1男の7人家族で生活していたが、1914年(大正3)に41歳で亡くなった。
 その後、この住宅の居住者は何度か変わったが、1956年(昭和31)から、乳酸菌飲料カルピスの発明者として知られる三島海雲氏が住んでいた。海雲氏の死後は、三島食品工業株式会社の事務所として、1999年(平成11)まで使用されていた。
 へーそうだったんだ。ちょいと気になるので、ウィキペディアで「カルピス」について調べてみました。創業者の三島海雲は、1902(明治35)年に内モンゴル(現在の中華人民共和国・内モンゴル自治区)を訪れ、そこで口にしたジョッヘという飲み物を参考にして1919(大正8)年にカルピスを開発・発売したそうです。「カルシウム」とサンスクリットの「サルピス」(漢訳:熟酥)を合わせた社名を決めるに際して、同社では重要なことを決める際には、その道の第一人者を訪ねる「日本一主義」があり、音楽の第一人者の山田耕筰に相談したところ最も響きが良いということで「カルピス」となりました。なお現在は使用されていませんが、あの懐かしい黒人男性の商標は、第一次世界大戦終戦後のドイツで苦しむ画家を救うために当時の社長の三島が開催した「国際懸賞ポスター展」で、3位を受賞したドイツ人デザイナーのオットー・デュンケルスビューラーの作品だそうです。
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 こちらでは昼食をとることができるので、豪華な室内でドライカレーをいただきました。外へ出ると「ハチにご注意ください」というピクトグラムがありました。鶴亀鶴亀。そういえば、旧士幌線アーチ橋ツァーのガイドさんが、「スズメバチはヒグマよりも怖い」とおっしゃってましたっけ。
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by sabasaba13 | 2016-07-06 06:41 | 東京 | Comments(0)
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