江戸東京たてもの園編(7):(14.9) sanpo

 綱島家は、多摩川をのぞむ台地で穀物や野菜を作っていた古い農家です。
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 次は奄美の高倉、解説板を転記します。
 きのこに似たユニークな外観を持つこの建物は、奄美大島にあった高床式の倉庫である。屋根の部分が穀物などを入れる倉庫になっており、倉の中へはしごをかけて出入りする。
 建物の本体を柱で地面より高くあげているのは、湿気や鼠の害から穀物などを守るためである。4本の柱はアカモモ(奄美大島での俗称。一般にはツバキ科モッコク属)という堅い木材でできている。
 この高倉は1960年(昭和35)、現西東京市にあった「民族学博物館」に移築、展示された。「民族学博物館」は民族学者で実業家でもあった渋沢敬三(1896~1963)らが設立した私設博物館である。同博物館の閉館に伴い、江戸東京たてもの園の前身である武蔵野郷土館に再移築された。
 高倉は、高温多湿の地域に発達したもので、日本では南西諸島ほか東京都の八丈島などに見られる。
 おおっ、まさかわが敬愛する渋沢敬三にここで出会えるとは、盲亀の浮木、優曇華の花です。私設博物館とはおそらく「アチック・ミュージアム」のことなのでしょう、思わず頬ずりをしたくなりました。しませんでしたが。
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 吉野家は、江戸時代後期に建てられた農家で、三鷹市野崎にありました。このあたりは、幕府および尾張徳川家の鷹場になっており、江戸時代中頃から開発が進められた地域だそうです。
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 つぎは八王子千人同心組頭の家です。八王子千人同心は、甲斐との国境を警備するために八王子に配備された武士団です。関ヶ原の戦いの頃には1000人ほどの規模であったため、その名がつけられました。武士とはいえ、平常は農耕を営んでいたそうです。
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by sabasaba13 | 2016-07-08 06:45 | 東京 | Comments(0)
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