京都錦秋編(29):妙心寺退蔵院(14.11)

 そして退蔵院へ。以前に訪れた時にマイケル・ムーア監督に出会えたお寺さんです。お目当ては、"昭和の小堀遠州"中根金作作庭の傑作、「余香苑」です。まずは方丈の縁側に置いてある如拙作の「瓢鮎図」のレプリカを表敬訪問。
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 このお寺さんのシンボルですね。瓢箪で鯰をつかまえようとする男を描いた摩訶不思議な絵、どういう意味があるのかいろいろな説がありますが、『瓢鮎図 ひょうたんなまずのイコノロジー』(平凡社)で述べられていた島尾新氏の所説を紹介しておきましょう。
 しかし、私たちが分析するような「構造」によって、絵を作った人々の営為を理解できたと思うのは早計である。目の前にあるのは「出来上がった」ものにすぎない。「瓢鮎図」の作られた場で、どんな会話がなされたのか知るよしもない。ひとつ想像を逞しくしてみよう。

 「このあいだ、上様(※足利義持)と話をしていたら、瓢箪で鯰を捕まえる、ということを言ったやつがいて、それを新邸の屏風に、という話になった」「ひょうたんでなまずおさえる? 誰が考えたんだ、そんなこと」「でも面白いじゃないか」「そんな諺があったような気もする」「しかし、何といっても将軍の屋敷の屏風だ。そう妙竹林なものも出来ないだろう」「上様は、なにか新しいものをお作りになりたいようだ」「新しいお屋敷だからな」「先代の義満公のときには無かったようなもの?」「どんな風に描けばよいのでしょう」「とにかく上様のお屋敷に置くのだから、立派なものじゃなきゃいけないな」「ひょうたんなまずを?」「大丈夫。清涼殿にも『手長足長』なんていう妙なものがある。これだって、もともとは『山海経』だ。中国の古典だよ。それに対抗して、ちがったのを作ればいいじゃないか」「しかし公家風はまずい」「もちろん唐絵だよ」「義満公の集められた中国絵画があるな」「瓢箪で鯰は捕らえられるものでしょうか?」「そんなことできるわけがない。だからこそ面白いんだ」「瓢箪を持って鯰と格闘するところでも描けばよいのでしょうか?」「それでは何の趣もない」「鯰が竹に上るっていうはあったよな」「そうだ、竹を入れよう」「鯰はこの大地を支えているって話もある。ついでだから男は鯰の上に乗せてしまえ」「瓢箪が手につかないっていうのはどうだ」… (p.104~6)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2016-10-13 06:23 | 京都 | Comments(0)
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