京都錦秋編(31):錦市場(14.11)

 売店で「瓢鮎図」Tシャツを売っていたので即購入。見るべきほどの庭は見つ、自害はしないで錦市場へ行って卵焼きを買いましょう。妙心寺三門に、さらば」と別れを告げました。
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 そうそう、何気なく今妙心寺のHPを見たら、トップ・ページに"節電 節水 節油 知足 たるをしる 原子力に頼らない わたしたちにできる小さくて大きな支援"という法語(?)があり、「吾唯足知」と刻まれた竜安寺の蹲の写真が掲載されていました。その意気やよし。奈落の底に落ちる穴の徳俵に足をかけている世界と日本。とてつもない格差社会と、それを弥縫するための狂熱的ナショナリズム。相も変わらない資源と市場の暴力的な奪い合い。その結果生じる、大量の難民。またその際に行なわれる一般市民への国家テロと、それに対するカウンター・テロ。大量生産・大量消費・大量廃棄による資源の枯渇と環境破壊、地球温暖化。必要な電力を賄うための核(原子力)発電所の乱立。それもこれも、もう不可能な状況であるにもかかわらず、各国が経済成長を強行していることに起因していると考えます。充足することを知らず、ひたすら金と物を追い求める世界と日本… 「吾唯足知」という四文字こそが、人々に平和と安楽をもたらすという先哲の智恵を大切にしたいものですね。
 JR花園駅まで歩き、山陰本線に乗って京都駅へ。地下鉄烏丸線に乗り換えて四条駅で下車。錦市場の入口には「伊藤若冲生家跡」という看板がありました。そう、伊藤若冲は1716(正徳6)年、ここ錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生を受けたのですね。アーケードにも彼の絵がたくさん掲げられていましたが、わが敬愛する画家の一人です。
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 とにかく、彼の絵が好き、ただそれだけです。中野雄氏が『モーツァルト 天才の秘密』(文春新書487)の中で、こう書かれていました。
 …群百の音楽家に比して、百倍も千倍も努力した人であった。ただ、彼はその"努力"を「つらい」とか、「もういやだ」と思わなかっただけの話である。
 そう、天才とは、"努力"を"努力"だと思わない人のことなのですね。そういう意味で若冲も天才だと思います。大好きな絵を描ける喜悦が、びしびしと伝わってきて幸せになります。以前より、石峰寺伊藤若冲展プライス・コレクションなど彼の足跡と展覧会を追いかけてきたのですが、今年は生誕300年、とてつもない規模の充実した回顧展が東京都美術館で開かれました。もちろん行く気満々だったのですが…なんと平日で五時間待ち! やれやれ、これでは入場できたとしてもまともな鑑賞はできないな、と来館を断念しました。それにしてもなぜ、突然、若冲の人気がこれほど沸騰したのでしょう? その経緯は知りませんが、来館者の多くは若冲が好きで訪れたのではなく、話題になったから来たのでしょう。JR東海キャンペーン「そうだ京都、行こう」で取り上げられた紅葉を見に行く方々と同じ行動パターンですね。メディアに踊らされるのではなく、己の研鑽と感性で好きな絵師やお庭を選んでほしいものです。このブームが一過性のものではないことを望みます。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-10-16 07:30 | 京都 | Comments(0)
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